タグ:武田信玄

  • 武田義信と諏訪頼重【東光寺】甲斐の由緒あるお寺

     まず甲斐・東光寺をご紹介致します。  創建年代は不明ですが平安時代の1121年に源義光(新羅三郎)が国家鎮護と仏法繁盛の祈願所として諸堂を再興したとされます。ただし、その後荒廃したそうです。  のち、鎌倉時代の…
  • 横田高松~砥石崩れにて討死した勇将【甲斐・善光寺に眠る武田家臣】

     1487年に生まれた横田高松(よこた-たかとし)は、近江・甲賀の出身で、佐々木氏の一族である六角家の家臣であったともされる。  武田信虎のときに甲斐に赴いて武田家の家臣に加わった。  弓矢が得意だったようで、足軽大…
  • 片倉城(東京都)~気軽に散策できる古城は毛利家に繋がった

     片倉城は東京都八王子市片倉町にある比高30mの平山城で、最初は扇谷上杉氏の家臣・長井氏が築城したとされています。  もともと八王子は、平安時代中期以降、武蔵七党・横山党の所領です。  1213年の和田合戦にて横…
  • 平賀源心の墓~海ノ口城の戦い

     この山梨県北杜市の若神子(わかみこ)に平賀源心の墓なるものがあるのは知っていたのですが、たまたま通った道路沿いに発見しましたので、ちょっと寄ってみました。 (さらに…)…
  • 武田信玄の国家構想である新鎌倉と星の谷とは?

     武田信玄などの軍記を記した「甲陽軍鑑」には、武田信玄が描いていた国家構想についても記述がある。  武田信玄は天下を取ったら「新鎌倉」と言う幕府を設立して国家を統率しようとしたようだ。 (さらに…)…
  • 武田信義とは~願成寺の武田歴代墓所と武田信義館跡

     甲斐武田家の祖である武田信義について、武田信義の館跡や武田信義の墓所である願成寺も踏まえて、ご紹介させて頂きます。  武田信義は1128年8月15日、新羅三郎義光(源義光)を祖とする甲斐源氏である源清光の次男とし…
  • 武田八幡神社と白山城

     山梨県にある武田発祥の地です。  トップ画像は、武田家が当初、詰めの城にしたと考えられる「白山城」の遠景です。  南アルプスの山が更に背後にそびえます。 (さらに…)…
  • 若神子城の烽火台~武田や北条が利用した陣城

     若神子城(わかみこ)は武田勢が諏訪方面や佐久方面に出陣する際には、だいたい立ち寄って1泊した城です。  また、武田の狼煙ネットワークとして、佐久・諏訪口方面からの狼煙中継点となりました。 (さらに……
  • 影武者~武田信玄の影武者は何人いたのか?

     そもそも、武田信玄の影武者が本当にいたのか?  色々と議論はありますが、武田信玄を調べますと、調べるほど「非常に慎重」な武将であることがわかります。  そのため、個人的には、影武者は少なからず「いた」と私は考えてお…
  • 太原雪斎とは~今川家を導いたその計れ知れない英知

     太原雪斎(たいげん-せっさい)は、庵原城主・庵原政盛(庵原左衛門尉政盛)の子として1496年に生まれた。  母は水軍も率いた横山城主・興津正信の娘で、両家とも今川家の譜代の家臣と言う環境で育つ。 (さらに&hel…

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気になる戦国女性

  1.  淀殿をご紹介する記事では、できる限り中立的な立場にて記載したつもりですが、父・浅井長政や、母・お市…
  2. 石井彦鶴姫は、1541年に肥前・飯盛城主である石井常延(石井兵部少輔常延)の次女として生まれました。…
  3. 戦国時代には関東にも「足利氏姫」と言う女城主がいたと言うのは、あまり知られていないだろう。 157…
  4. 豪姫(ごうひめ)は、織田信長の家臣・前田利家の4娘として尾張・荒子城(愛知県名古屋市)にて1574年…

人気の戦国武将

  1. 1582年6月2日の本能寺の変で織田信長を倒して明智光秀ですが、なかなか味方してくれる大名がいなく苦…
  2.  戦国時代最大とも言われる山岳戦となった三増峠の戦い。  武田信玄が勝利したとも、北条氏照が勝利し…
  3. 戦国時代を制して平和な江戸時代をもたらした英傑・徳川家康。 戦国の世に生まれ、今川義元の人質であり…
  4. 北条氏康(ほうじょう-うじやす)は、小田原北条氏の第2代当主・北条氏綱の嫡男として1515年に生まれ…
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