タグ:鎌倉武士

  • 獅子ヶ谷城~いがいにも非常に歴史が深い横浜の古城

    武蔵・獅子ヶ谷城(ししがやじょう)は、別名を御薗城、獅子ヶ谷殿山とも言い、横浜にある平山城です。 標高は45m、比高は40mとなります。 (さらに…)…
  • 土肥実平と土肥遠平(小早川遠平)~湯河原・城願寺の土肥一族の墓

    城願寺(じょうがんじ)は、土肥実平(どひ さねひら)が創建したされる曹洞宗の寺院で、神奈川県の湯河原温泉にあります。 この土肥実平(土肥次郎実平)は、桓武平氏良文流の有力豪族・中村党、中村宗平の次男で土肥郷を本拠とした…
  • 三浦義澄と三浦義村とは~三浦半島にある三浦義村の墓

    三浦義村(みうら-よしむら)は、相模・三浦郡矢部郷の領主・三浦義澄(みうら-よしづみ)の次男として生まれたが生年は不詳。 母は正室・伊東祐親の娘と考えられる。 兄の三浦友澄が承久の乱にて討死したため、三浦義村が三浦家…
  • 和田義盛の居城「和田城」と三浦氏の本拠地「三崎城」

    相模・和田城は、三浦郡和田郷にあります。 源頼朝の鎌倉幕府創設に大きく貢献したことが認められ、初代・侍所別当を任された和田義盛(和田小太郎義盛)の居城・館です。 (さらに…)…
  • 源実朝公御首塚と波多野城~本当の波多野城跡は?

    秦野は古来に朝鮮から渡って来た秦氏らが、大磯から相模に上陸して、ここ秦野まで進出した場所と考えられている。 その秦野を流れる金目川沿いにあるのが波多野城跡と言う事になり、歴史小説家・永井路子さんも、その地勢を大絶賛…
  • 梶原景時の生涯と最後の住まいであった梶原景時館跡(神奈川県寒川町)

    梶原景時(かじわら-かげとき)は鎌倉幕府の御家人で、1140年頃に生まれました。 父は梶原景清で、母は横山党・横山孝兼の娘です。 (さらに…)…
  • 大江広元~鎌倉幕府の源頼朝に助言した初代政所別当と方園寺

     大江広元(おおえ-の-ひろもと、大江廣元)は、1148年に生まれた。  出自については諸説あるが、武士ではなく貴族出身で鎌倉幕府に尽くした人物となる。 (さらに…)…
  • 常盤御前~源義経の母

     常盤御前は、平安時代末期の女性で、源義朝の愛妾。  源義朝は、鎌倉幕府を築いた、源頼朝の父にあたる。  源義朝との間に、阿野全成(今若)、義円(乙若)、源義経(牛若)の3人の男子を設けた。  1138年生まれとさ…
  • 和田合戦~経緯と戦闘詳細【和田義盛の乱】

     鎌倉時代初期に支配した横山党をご紹介しましたが、このページでは、横山党が滅ぶ原因となった「和田合戦」についてご紹介致します。 和田合戦前の鎌倉幕府    横山党が滅ぶ原因となった和田合戦は、1213年5月…
  • 武蔵七党の最大勢力~横山党

     横山党を率いるのは横山氏で、豪族「小野氏」(近江国小野村)(現在の大津市)の小野篁から数えて9代目後裔とされる横山義隆が、現在の八王子の「横山庄(別名:舟木田庄)」にやってきたと一般的には考えられています。別の呼び方で…

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