2分でわかる【牧宗親】解説~平氏の家人で都にも精通した御家人

牧宗親




牧宗親とは

牧宗親(まき-むねちか) は、平安時代末期の公家?に近い家人で、長年、平氏平頼盛に仕えていた。
出自に関してはよくわからないが、藤原宗兼の子で、藤原宗子/池禅尼(いけのぜんに、平清盛の継母)と牧宗親が兄弟である可能性あり。
そのため、藤原宗子(池禅尼)が産んだ、平清盛の異母弟・平頼盛(たいら-の-よりもり)を後見していたのかも知れない。
武将ではない可能性があるのは、鎌倉時代初期の書物「愚管抄」(ぐかんしょう)にて、牧宗親のことが「武者にもあらず」とあるため。
しかし、平氏から所領は受けており、駿河・大岡牧(沼津市)を領している。
伊豆・北条荘北条氏とも、領地が近いことから、吾妻鏡においては、北条時政の最初の継室・牧の方が、牧宗親の娘(または妹)とされる。


牧宗親(牧三郎宗親)のエピソードとしては、下記の通り。
1182年11月、北条政子源頼家を出産する頃、源頼朝は愛妾・亀の前と浮気をする。
この浮気を、牧宗親が、牧の方に伝えると、北条政子も知る所となる。
怒った北条政子は、牧宗親に命じて、亀の前の住まい(伏見広綱の逗子にあった屋敷)を破壊させてしまった。
伏見広綱は、亀の前を連れて、大多和義久鐙摺城に逃れている。

この騒動をしった源頼朝は、牧宗親と鐙摺館を訪れて、伏見広綱と牧宗親を尋問。
牧宗親は、無言で平伏するばかりだったため、源頼朝は、茎宗親の髻を切って反省を促した。
<注釈> 髻(もとどり)とは、髪の毛を、頭の上で束ねたもの。


この仕打ちに、北条時政や北条政子が怒ったため、北条氏は一族で、伊豆へ引き揚げた。
この騒ぎを治めるため、1ヶ月後、伏見広綱は遠江へ流罪となっている。

1185年には、壇ノ浦の戦いでの捕虜・平宗盛を連れた、源義経が鎌倉へ戻るところ、北条時政が酒匂宿(小田原)にて出迎えた。
この時、北条時政の主従として「武者所宗親」が随従したとある。
また、、源頼朝が南御堂供養に出向いた際の従者のなかに、牧武者所宗親の名がある。
建久2年(1191年)、牧の方が京都より鎌倉に戻った際に、兄弟の武者所宗親と、外甥・越後介高成などが従ったとある。
1192年には、武者所宗親の屋敷「浜の家」が焼失した模様。
1195年、源頼朝が東大寺の供養のため赴いた随兵に、牧武者所の名があるのが最後。


牧宗親の生没年は不詳。

2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、俳優の山崎一さんが、牧宗親を演じられる。

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高田哲哉日本の歴史研究家

投稿者プロフィール

(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査・研究している歴史人物研究家です。
自慢できるものはありませんが、資格は史跡訪問のための国内旅行地理検定2級、水軍研究のための小型船舶操縦士1級など。

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