亀の前【源頼朝の妾】おもしろ浮気解説【鎌倉殿の13人】妙悟尼

亀の前【源頼朝の妾】





亀の前とは

亀の前 (かめのまえ) / 亀 は、良橋太郎入道の娘とされる鎌倉時代初期の女性ですが、どんな人だったのか?、生い立ちなどを、ご紹介したいと存じます。
父とされる良橋太郎に関してはよくわかっていませんが、源頼朝に従っていた家来だった可能性があります。
そのためか、吾妻鏡では、源頼朝が伊豆の蛭ヶ小島(ひるがこじま)にて、流罪となってから、亀前は、側近くで仕えた女中であったとあります。
亀の前は、美人で性格も柔和だったとされますが、生没年などは不明です。

2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、女優の江口のりこさんが、亀(かめ)を演じられます。
と言う事は、脚本が三谷幸喜さんだけに、大泉洋さんが演じられる源頼朝は、いつも、怒られたり、亀など女性に、頭が上がらないような、雰囲気になる予感も致します。

さて、話を戻しますが、1181年12月、北条政子が病の床に臥せ、御家人たちも鎌倉に出向いて見舞いをしましたが、これは懐妊したことによる「つわり」でした。
1182年3月9日、千葉常胤の妻が献上した帯を、頼朝自らが結ぶ「着帯」の儀を行い、丹後局という女房が陪膳(儀式の食事)を給仕しています。
そして、約1年前から「御密通」していた女性・亀の前を、源頼朝は秘かに、6月1日に、中原光家(中原小中太光家)の小窪(逗子・小坪)の屋敷に入れました。
源頼朝は、密かに亀の前を、寵愛するようになっていたのです。
まさに、奥さんが妊娠中の「浮気」とも言えるでしょう。



小坪に住まわせたのは、由比ガ浜へ、みそぎに行くといって出かけたり、車大路に住む加藤景廉の病気見舞いで行くと言う理由で、都合がよいからだと、理由まで吾妻鏡にしっかりと記載されています。
由比ガ浜では、榛谷重朝、和田義盛和田義茂、三浦義連、愛甲季隆らと、よく、弓馬の訓練もおこなっていました。
ただし、側室や妾(めかけ)を持つのは、珍しくない事でもありましたので、念のため、明記しておきます。

お産が近づいた北条政子は、7月12日に、比企谷の比企能員の屋敷に移り、梶原景時がお産を取り仕切ることになりました。
比企能員(ひき-よしかず)は、源頼朝の乳母であった比企尼(ひきのあま)の甥になる側近です。

1182年8月12日に、北条政子が万寿(源頼家)を出産したあと、北条政子の父・北条時政の継室である牧の方が「浮気をしている」と、北条政子に知らせます。
その前後、亀の前は、更に遠方である飯島(逗子)の伏見広綱の屋敷に移されました。
北条政子は、牧の方の父・牧宗親に命じて、11月10日、源頼朝の右筆である伏見広綱の邸宅を破壊させています。
この時、亀の前は、伏見広綱に連れられて、鐙摺(葉山町)にある大多和義久の屋敷(鐙摺城)へと逃れました。

これに怒った源頼朝は、11月12日、牧宗親を連れて鐙摺(あしずり)を訪れると、伏見広綱に経緯を聞き、泣いている牧宗親を尋問しました。
牧宗親は、頭を地面につけて平伏するばかりであったため、源頼朝は牧宗親の髻を切って恥辱を与えたとあります。
ちなみに、牧宗親は、平治の乱の際に、源頼朝を死から救った、平清盛の継母・池禅尼の弟です。
この仕打ちに、11月14日、北条政子の父で、牧の方の夫でもある北条時政は、一族を連れて鎌倉を去り、本拠地の伊豆に引き上げると言う騒動にも発展しました。
ただし、北条義時は鎌倉に残ったため、褒美を与えられています。



12月10日、亀の前は、小中太光家の小坪の家に戻ったともありますが、北条政子の怒りは収まらず、12月16日、鎌倉伏見広綱は遠江・浜松に流罪となっています。
北条政子が怒る理由は、妾や側室に男子が生まれると、自分の子が後継者になる地位に、不安要素が出ることを、恐れたものと推測します。
亀の前のその後に関しては、吾妻鏡では1183年が欠落していることもあり、伝わっていませんが、恐らくは、北条政子を恐れて、離れていったものと考えられます。
怒っていたはずの、北条時政が、鎌倉に戻った時期も不明です。
朝廷とのパイプもあり、鎌倉にやってくるも、僅か半年で、流刑となった伏見広綱が、かわいそうなのですが、伏見広綱に関しても、その後は不明です。

ちなみに、源頼朝は、同じ頃、新田義重の娘(源義平の未亡人・祥寿姫)にも手を出そうとしています。
源頼朝は伏見広綱に命じて、先の7月に、密かに兄の未亡人である祥寿姫に恋文を送っていました。
源義平(みなもとのよしひら)は、源義朝の庶長子で、源頼朝・源義経とは異母兄にあたる武将で平治の乱で敗れた際に、斬首されていました。
返事が無いので、源頼朝は、直接、父の新田義重に申し入れしました。
新田義重は、北条政子の恨みを恐れて、すぐに祥寿姫 (しょうじゅひめ) を師六郎に嫁がせ、新田党は、源平合戦にも参じるのを自粛したと言うのが結果でする
このように、積極的に、鎌倉幕府設立に貢献しなかった新田氏は、のちの世代まで後を引く冷遇となり、やがて足利氏が台頭し、新田義貞も苦悩する結果になったと言えます。



話がそれましたが、NHK大河ドラマで、亀の前を演じられた女優さんは下記の通りです。

1972年「新・平家物語」高樹蓉子さん
1979年「草燃える」結城しのぶさん
2005年「義経」松嶋尚美さん
2020年「鎌倉殿の13人」江口のりこさん

妙悟尼(妙子)

大変興味深い話として、三浦半島の先端、三崎に住んだ、妙悟尼(妙子)と言う女性がいます。
吾妻鏡では、1194年閏8月1日、源頼朝が、白浪と青山で極めて優れた景色を有する三崎の津に、山荘(別荘)を建てることにしたとあります。
その山荘は合計3つあり「椿の御所」「桜の御所」「桃の御所」と呼ばれていたと言います。
そのうち、三崎の「椿の御所」には、源頼朝の妾として妙悟尼が住んでいたとされます。
椿の花が邸内を埋め尽くしていたので、椿の御所と呼ばれたともあります。



一説によると、向ヶ崎にある永塚氏の娘で、長塚家のことを「小大椿」と呼ぶとも言い、本名を妙子だったともされます。
向ヶ崎は、まさに、椿の御所があった場所ですので、妙悟尼(妙子)は、実家近くに住んだとも言えます。
岩間尹氏の著書「実録三浦党」によると、下記のような記述があります。

頼朝は妙子を三浦義明の三男・大和田義久に託して、三崎の椿御所に居宅を設けてかくまい、三浦党よりの招待に事寄せて、度々ここを訪れ静養した。
頼朝は妙子を鎌倉伏見広綱の許に託しておいたが、北条時政の後妻の牧の方がこの事を知って、政子に告げたため、性来妬悍の政子は、牧宗親に命じて広綱の家を破壊して、妙子を放逐した。
妙子には、三崎の椿御所に居宅を設けてかくまい、三浦党よりの招待に事寄せて、度々ここを訪れ静養した。

おっと、出ましたね。
亀の前の話と、ほとんど、同じと言って良いでしょう。
なんで、伏見広綱は、亀の前を連れて、鐙摺城の大多和義久を頼ったのか?が、理解できなかったのですが、もともと、亀の前が、三浦出身だったと言う事であれば、三浦党を頼ったのもわかります。

となりますと、妙悟尼(妙子)は、亀の前と同一の女性だったとも推測できます。



源頼朝は、1194年9月6日、1995年1月25日と8月26日と、4回も三崎に出かけていることが確認できます。
1199年、源頼朝が死去すると、その女性は出家して、妙悟尼と名乗り、源頼朝の菩提を弔いました。
三浦半島の三崎港に近い大椿寺(だいちんじ)と言う寺が、妙悟尼の屋敷跡だと伝わります。
その大椿寺は妙悟尼が開基で、開山は鎌倉建長寺の旭永和尚となっています。
妙悟尼の墓も境内にあるようです。

新編相模風土記稿では、下記のように記載されています。

法名大椿寺法円妙悟尼、寛喜二年(1230年)正月廿五日逝去す、宮川村に墓あり、寺記に妙悟尼は頼朝の室なりと云ふ、頼朝の夫人は政子にて事実卒年等も符合せず、こは全く鎌倉の侍女にて、後剃髪し此地に住せしならん。

実際問題、亀の前と言う名前は、本名ではありません。
また、亀の前のその後に関しても、よくわかっていませんので、もし、亀の前を三浦党が引き続き匿い、源頼朝の死後に出家して、妙悟尼となって、1230年まで、長生きしていたとしたら、少し、うれしい気持ちになります。

伏見広綱の解説【鎌倉殿の13人】源頼朝の側近である右筆
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高田哲哉日本の歴史研究家

投稿者プロフィール

(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査・研究している歴史人物研究家です。
自慢できるものはありませんが、資格は史跡訪問のための国内旅行地理検定2級、水軍研究のための小型船舶操縦士1級など。

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