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タグ:史跡
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宇佐美定満(宇佐美定行)とは~上杉家の軍師と琵琶島城(野尻湖での溺死)
宇佐美定満(うさみ-さだみつ)は1489年に生まれで、父親は宇佐美房忠とも、宇佐美孝忠(宇佐美越中守孝忠)ともされる。 母は不詳であるが、初め宇佐美良勝と称し、のち宇佐美定満と改名した。 なお、宇佐美定行と言うのは、… -
長尾政景の溺死事件と仙桃院の数奇なる運命の果て
長尾政景(ながお-まさかげ)は、1526年に上田長尾家となる長尾房長の次男として生まれた。 仙桃院(せんとういん)は、仙洞院とも書くが、長尾為景の娘で、1524年ないし1528年生まれとされる。 父・長尾為景は越後長… -
木付鎮直と木付統直とは ~杵築城の戦い・石垣原の戦い【杵築城訪問記】
杵築城(きつきじょう)は木付城、勝山城、臥牛城とも呼ばれる連郭式平山城で、八坂川河口の台山(だいやま)に築かれ、3方を川と海に囲まれた天然の要害になっています。 最初の築城は、1393年の木付頼直とされ、木付氏が代々の… -
豊臣国松は生きていたのか?~立石陣屋・木下延由の謎に迫ってみた
豊臣秀頼の子・豊臣国松(とよとみ-くにまつ)は生きていたのか? このページでは、そんな国松の生存説を追ってみたいと存じます。 大分の日出城主・木下延俊の死後、速見郡立石5000石を与えられた木下延俊の四男・木下延… -
長宗我部信親とは 戸次川の戦い 無念の壮絶な最期を遂げる
長宗我部信親(ちょうそかべ-のぶちか)は、土佐の戦国大名・長宗我部元親の嫡男として1565年に生まれました。 母は元親夫人と呼ばれる石谷光政の次女で、1563年、蜷川親長の仲介を受けて25歳の時に嫁ぎました。長宗我部元… -
豊後・岡城の写真集2
←志賀親次と岡城~荒城の月の舞台でもある見事な山城の岡城 上記にてご紹介した豊後・岡城の石垣など、残りの写真をこのページにまとめて掲載致しております。 写真はパソコンでクリックすると拡大致します。 … -
稲葉一通と多羅の臼杵法音寺~その系譜は今上天皇まで繋がる・・
稲葉一通(いなば-かずみち)は豊後・臼杵藩の第2代藩主・稲葉典通の長男として誕生しました。 母は丹羽長秀の娘です。 もっとも、生まれたのは1587年6月13日と、豊臣秀吉が九州の覇者・島津義弘を降伏させて九州を平定し… -
吉岡妙林尼 見事な采配と智略で鶴崎城を奪還した女性【乙津川の戦い】
吉岡妙林尼(よしおか-みょうりんに)の生い立ちは良くわかっていませんが、父は林左京亮、又は丹生正敏(丹生小次郎正敏)ともされます。 本名はもちろん生没年も不明です。 この吉岡妙林尼が有名な理由としては、女性でありなが… -
高橋紹運と立花直次~岩屋城の戦い・岩屋城の訪問記
高橋紹運(たかはし-じょううん)は吉弘鑑理の次男で、1548年に豊前・筧城にて生まれた。 母は大友義鑑の娘か?(諸説あり) 父・吉弘鑑理は智勇に優れた武将で、大友義鑑の一門として活躍し、大友義鑑の子・大友義鎮(大友宗… -
蒲池鑑盛 蒲池鎮漣 柳川城主として忠義を貫くも
蒲池鑑盛(かまち-あきもり)は柳川城主・蒲池鑑久の子として1520年に生まれた。 母は不詳。 蒲池氏は筑後屈指の名族で、鎌倉時代以来、蒲池城を本拠としていた。 1500年代に入ると蒲池治久が柳川城を支城として築城す…