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タグ:史跡
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天海の解説 徳川家の参謀として暗躍した生涯 川越・喜多院の見どころ
天海(てんかい)は、1536年?に生まれたとされる天台宗の僧で、南光坊天海、智楽院とも呼ばれます。 出身は陸奥国会津郡高田の郷と考えられ、三浦氏を祖にする蘆名氏の第12代当主・蘆名盛高(蘆名修理太夫平盛高)の一族で、舟… -
島原の武家屋敷水路~情緒豊かでタイムスリップしたような城下町風情
長崎県の島原半島ですが、雲仙・普賢岳以外にも色々と名所があります。 島原城(森岳城)もそのひとつですが、島原城下に残る「武家屋敷街」も大変素晴らしいところです。 普通「武家屋敷」と言う者は、古い城下町には、結… -
島原の乱と天草四郎~ポルトガルの支援を待った70日に及ぶ原城籠城戦
原城(はらじょう、はるのじょう)は、長崎県南島原市の有明海に面した梯郭式平山城で、本丸の標高は31mです。 別名は、春城、志自岐原城、日暮城、有馬城とも呼ばれ、国の史跡に指定されています。 [adrotate b… -
千々石直員 天正遣欧使節の千々石ミゲルがキリスト教を辞めた理由?
千々石直員(ちぢわ-なおかず)は、有馬家の最盛期を築いた有馬晴純の3男で1545年生まれです。 兄に有馬義貞、大村純忠がいます。有馬晴信は甥です。 そして、千々石氏の養子となって、千々石直員(千々石淡路守)は、島原西… -
大崎義隆 国宝「大崎八幡宮」~大崎義直から大崎氏滅亡まで
大崎八幡宮(おおさきはちまんぐう)は仙台市にある神社で、社殿(本殿・石の間・拝殿)が国宝に指定されています。 創建年は不明ですが、社伝では坂上田村麻呂が武門の守護神である宇佐神宮を、鎮守府とした胆沢城(岩手県奥… -
仙台城と伊達政宗が眠る瑞鳳殿~青葉城などの訪問記・駐車場情報
仙台城(せんだいじょう)は、仙台の城下町を見下ろす青葉山(標高202m前後)の丘陵群に、伊達政宗が築いた大規模な連郭式平山城です。 比高は80mほどで、五城楼とも呼ばれます。 仙台城(青葉城)は> 青葉山公園… -
弁慶とは~武蔵坊弁慶の逸話や最後の地となった衣川の戦いと弁慶の墓など
武蔵坊弁慶(むさしぼう-べんけい)は熊野別当・湛増の子で、紀伊国出身ともされますが、生年も不詳で出自や生い立ちはよく分かっていません。 幼名は鬼若ともされます。 京で育ち比叡山に入った鬼若(弁慶)でしたが、修行にも身… -
5分でわかる坂上田村麻呂とは~胆沢城と多賀城訪問記も
優れた武人として尊崇されることになる坂上田村麻呂(さかのうえ-の-たむらまろ)は、758年に坂上苅田麻呂の子(3男?)として生まれました。 母は畝火浄永の娘です。 坂上氏は、走っている馬から弓を射る事が得意な武門… -
高坂昌信・春日虎綱とは~高坂弾正の事実を極力考えてまとめてみた
春日源五郎は1527年に、甲斐・石和の百姓である春日大隈の子として生まれた。 1542年に父・春日大隈が死去すると身寄りを無くし、武田信玄の奥近習として仕えるようになった。 始めは使番であったが、1551年、25歳の… -
雨宮正利とは~上田原の戦いで討死した雨宮刑部の墓
雨宮正利(あめのみや-まさとし)は、信濃・鞍骨城主である清野信秀の子として生まれたが生年は不明。 父・清野伊勢守信秀は、初名を清宮清秀と言い、葛尾城主である村上義清の一族して、信濃へ侵攻した武田信玄に対抗した。 …