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大友義統の解説 逃亡・改易・失脚・幽閉となった稀代の凡将?
大友義統(おおともよしむね)は、豊後の戦国大名である第21代当主・大友義鎮(のちの大友宗麟)の長男として1558年に生まれた。 母は、奈多夫人(奈多鑑基の娘)。 幼名は長寿丸。号は宗厳。将軍・足利義昭の偏諱を受け義統… -
伊東マンショとは~天正遣欧少年使節の代表者である正使を務める
伊東マンショ(いとう-まんしょ)の名前を歴史の授業で一度は聞いたことがある人も多いと思います。 使節のメンバーである伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノ。ちょっとインパクトのあるこの人達の名前「なんか… -
天正遣欧少年使節とは~戦国時代にローマへ渡った4人の少年使節団の運命
現代は飛行機に乗れば、簡単に海外に行けますね。 近い国だったら数時間で着いてしまうため、機内で寝て起きたら目的地に着いていたという経験のある人もいるのではないでしょうか。 しかし飛行機が発明されたのはほんの100年ち… -
後藤貴明とは~正当性を主張し戦国時代の荒波を乗り切った恒安館主
後藤貴明(ごとう-たかあき)は、大村館主・大村純前の長男として1534年に生まれました。通称は後藤又八郎です。 母は名前不詳の側室です。 なお、母は側室と言うよりは身分の低い女性であったようで、後藤貴明は長男… -
秋月種実~大友氏に真正面から立ち向かった九州の反骨武将~
戦後時代、筑前秋月(現・甘木地方)を治めた秋月種実(あきづき-たねざね)という戦国武将がいた。 北部九州の諸豪族が大友氏になびくなか、頑なに「反大友」を貫き、名将として名高い立花宗成や戸次鑑連に「油断のならない男」と評… -
田原親宏 田原親貫 戦国武将解説
田原親宏(たわら-ちかひろ)は戦国時代の武将で、田原親述と、佐伯惟勝の娘の間に生まれました。 田原家は大友家の庶家でも、最も有力な大友一族です。 そのため、大友義鑑・大友宗麟(大友義鎮)からは警戒され豊後を追放され、… -
長宗我部信親とは 戸次川の戦い 無念の壮絶な最期を遂げる
長宗我部信親(ちょうそかべ-のぶちか)は、土佐の戦国大名・長宗我部元親の嫡男として1565年に生まれました。 母は元親夫人と呼ばれる石谷光政の次女で、1563年、蜷川親長の仲介を受けて25歳の時に嫁ぎました。長宗我部元… -
吉岡妙林尼 見事な采配と智略で鶴崎城を奪還した女性【乙津川の戦い】
吉岡妙林尼(よしおか-みょうりんに)の生い立ちは良くわかっていませんが、父は林左京亮、又は丹生正敏(丹生小次郎正敏)ともされます。 本名はもちろん生没年も不明です。 この吉岡妙林尼が有名な理由としては、女性でありなが… -
島津家久とは~釣り野伏せにて数多くの敵将を討ち取った島津家の軍師
島津家久(しまづ-いえひさ)は、薩摩・島津氏の第15代当主である島津貴久の4男として、1547年に生まれました。幼名は又七郎です。 母は側室・本田親康(本田丹後守親安)の娘であるが、父が討死すると母に連れられて実家・肥… -
龍造寺隆信とは~5分でわかる龍造寺隆信のスゴイところ
龍造寺隆信(りゅうぞうじ-たかのぶ)は、龍造寺周家の長男として1529年2月15日、肥前・佐嘉水ヶ江城(佐賀水ヶ江城)の東館天神屋敷で生まれた。 母は慶誾尼(龍造寺胤和の娘)。 下記が佐賀城近くにある龍造寺隆…