カテゴリー:軍師
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江口正吉 丹羽家を支えた忠義の軍師
丹羽家は織田信長が存命していた頃の織田政権で無くてはならない存在でした。しかし、当主の丹羽長秀が亡くなると没落。 家臣たちの相次ぐ離反が起こります。 そんな中であっても丹羽家を支えた忠義者がいました。 その人物は江… -
相良頼房 深水宗方 犬童頼兄 人吉城の相良家物語
人吉の戦国武将である相良頼房、深水宗方、犬童頼兄を中心にご紹介します。 相良頼房(さがら-よりふさ)は、人吉城主・相良義陽の次男として1574年5月4日に生まれました。幼名は長寿丸。 母は豊永長英の娘・了信尼です。… -
竹中半兵衛の解説 豊臣秀吉の天下統一を一緒に夢見た名軍師
竹中重治(たけなかしげはる、竹中重虎、竹中半兵衛、たけなかはんべえ) 1544年9月11日、美濃・斎藤氏の家臣で美濃国大野郡(岐阜県揖斐郡大野町)の大御堂城・城主・竹中重元の子として、岐阜県池田郡片山にて生まれた。 … -
虎哉宗乙とは~伊達政宗を教え導いた臨済宗の僧~
虎哉宗乙(こさい-そういつ)は、享禄3年(1530年)に美濃国(岐阜県)で誕生しました。 虎哉(以下より虎哉と記述する)は姓を福地氏、幼名を虎千代と言い、後に博覧強記の名僧となる片鱗を伺わせるエピソードがあります。 … -
八柏道為 小野寺氏を最盛期に導いた軍師
八柏道為(やがしわ-みちため)は、戦国時代の武将で、出羽・八柏館主でした。 鎌倉時代に、小野寺氏が下野から出羽・雄勝郡の地頭職に任命された際に、同行した家臣のひとり、落合十郎が八柏氏の先祖となります。 その末裔が、寛… -
白石永仙~伊集院家の軍師として庄内の乱を進言
白石永仙(しらいし-えいせん)は、戦国時代に活躍した伊集院家の軍師です。 もとは白坂栄山という名の僧侶で、紀伊の根来寺の目頭だったと言います。 僧兵の第一とも称される武芸豊かな僧でしたが、兵法にも通じていまし… -
沼田祐光とは~津軽家の軍師ととして活躍した多彩な戦国武将・沼田面松斎
沼田祐光(ぬまた-すけみつ)は、沼田光兼(沼田宗兼?)の子ですが生年は不詳です。 父・沼田光兼は、若狭・熊川城の城主だったようですが、もとは上野沼田氏の一族で、源頼朝の時代から鎌倉幕府、そして、室町幕府におけては、若狭… -
太原崇孚雪斎~黒衣の宰相の真実とは【戦国人物伝1】
皆さんはこの人物「太原崇孚雪斎」の名を聞いて、誰?とはなりませんでしたでしょうか。 もし知っている方がいたなら「通」ですねと賛辞を送りたいです。 今回この人物を取り上げたのは、以前からこの太原崇孚雪斎(太原雪斎)につ… -
天海の解説 徳川家の参謀として暗躍した生涯 川越・喜多院の見どころ
天海(てんかい)は、1536年?に生まれたとされる天台宗の僧で、南光坊天海、智楽院とも呼ばれます。 出身は陸奥国会津郡高田の郷と考えられ、三浦氏を祖にする蘆名氏の第12代当主・蘆名盛高(蘆名修理太夫平盛高)の一族で、舟… -
宇佐美定満(宇佐美定行)とは~上杉家の軍師と琵琶島城(野尻湖での溺死)
宇佐美定満(うさみ-さだみつ)は1489年に生まれで、父親は宇佐美房忠とも、宇佐美孝忠(宇佐美越中守孝忠)ともされる。 母は不詳であるが、初め宇佐美良勝と称し、のち宇佐美定満と改名した。 なお、宇佐美定行と言うのは、…