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カテゴリー:軍師
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多目元興の解説 多目元忠 北条家の最古参であり河越夜戦での大活躍も
多目元忠(ため-もとただ)と言う小田原・北条家の家臣がいます。 多目元興(ため-もとおき)の子で、多目周防守元忠と称しています。多目六郎元忠とも言います。 多目家(多米家)の居城は武蔵・青木城です。 現在の神奈川県… -
島津家久とは~釣り野伏せにて数多くの敵将を討ち取った島津家の軍師
島津家久(しまづ-いえひさ)は、薩摩・島津氏の第15代当主である島津貴久の4男として、1547年に生まれました。幼名は又七郎です。 母は側室・本田親康(本田丹後守親安)の娘であるが、父が討死すると母に連れられて実家・肥… -
本多正信~智謀を振るった徳川家の名参謀
本多正信(ほんだ-まさのぶ)は、本多俊正の次男として1538年に三河で生まれた。 母の名は不詳。 初めは「鷹匠」として徳川家康に仕えたようだが、身分が低い為生活も苦しく、大久保忠世らから塩・味噌・薪などの提供… -
太原雪斎とは 今川家を導いたその計れ知れない英知
太原雪斎(たいげん-せっさい)は、庵原城主・庵原政盛(庵原左衛門尉政盛)の子として1496年に生まれた。 母は水軍も率いた横山城主・興津正信の娘で、両家とも今川家の譜代の家臣と言う環境で育つ。 雪斎と言う名は通称で、… -
黒田官兵衛とは 黒田家とは~名軍師・黒田孝高、黒田如水の詳細紹介
黒田官兵衛(黒田孝高、黒田如水)は天文15年11月29日(1546年12月22日)の朝8時頃に、黒田満隆(のちの黒田職隆、小寺職隆)の嫡男として播磨国の姫路で生まれた。 父・黒田満隆は23歳で、母は、16歳だっとされる… -
実際の山本勘助~どのような人物だったのか? ヤマカンも
実際の山本勘助 武田家は滅んだ大名のため、武田家に関する資料は多く残されていない。 武田氏の戦略・戦術を記した軍学書として「甲陽軍鑑」が有名だが、正確な著者は不明。武田信玄・勝頼に使えた武将・高坂昌信が書いたもの… -
山本勘助~武田勢の軍師・風林火山 【山本勘助の墓も】
山本勘助(ヤマモト-カンスケ) 明応2年(1493年)?~永禄4年(1561年)9月10日 別称は山本晴幸、勘助、勘介、菅助、管介、道鬼。 子は山本勘蔵信供。 川中島の合戦(第4回)で戦死。享年69歳。 …