沼田祐光とは~津軽家の軍師ととして活躍した多彩な戦国武将・沼田面松斎

大光寺城

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沼田祐光(ぬまた-すけみつ)は、沼田光兼(沼田宗兼?)の子ですが生年は不詳です。
父・沼田光兼は、若狭・熊川城の城主だったようですが、もとは上野沼田氏の一族で、源頼朝の時代から鎌倉幕府、そして、室町幕府におけては、若狭守護・武田氏に属していました。
沼田光兼の娘・沼田麝香(ぬまた-じゃこう)は、永禄5年(1562年)頃に細川藤孝の正室になったとされ、1563年に嫡子・細川忠興が誕生しています。

このように、沼田光兼も細川藤孝(細川幽斎)に仕えたともされますが、永禄12年(1569年)に若狭守護・武田義統の被官・松宮清長(松宮玄蕃允)に攻められると、若狭沼田一族は近江へ逃れた模様です。

その子とされる、沼田祐光(沼田面松斎)は陸奥に来ると大浦城主・津軽為信に仕えたと言う事になりますが、その経緯などは不明ですが、武者修行で赴いたともされています。

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なお、沼田祐光は陰陽道・易学・天文学に通じており、朝廷にも顔が効いたようで、津軽為信は当初500石にて迎えたようです。
ただし、沼田祐光は身分不相応だとして辞退して、子の沼田兵庫助(沼田勘右衛門)に与えるよう願い、沼田祐光自身は隠居料として100石を受けたとされています。

いずれにせよ、津軽家の軍師として活躍し、1571年5月の石川城攻めや、天正3年(1575年)大光寺城攻めにも参陣しました。
ただし、明確な功績はよくわかっていません。
※トップの写真は大光寺城跡で、城主としては乳井建清や津軽建広などが知られています。

しかし、本州最果てとも言える北の大地において、京にも人脈がある沼田祐光(沼田面松斎)が、津軽家が関ケ原の戦い以降にも存続できたと言う役割は、大きかったものと推測できます。

また、弘前城を築城する際の土地選定でも、候補となった長勝寺構、高岡城、亀ヶ岡の三候補から吉凶を占って「風水の面からみてもっともふさわしい」と、高岡城(弘前城)を進言しています。
天海上人とも親しかったとされますが、慶長17年(1612年)12月に病死しました。

なお、孫の沼田祐正が、500石にて津軽為信の嫡男・津軽信建の家臣となっています。
しかし、津軽信建が早くに亡くなったあとは浪人したようですが、のち、2代藩主・津軽信枚のときに、旧功をもって招かれて、沼田祐光の隠居料100石にて弘前藩士として返り咲き、のち150石となっています。


青森県弘前市の誓願寺に、沼田祐光の墓があるそうですので、今度、機会があれば訪れてみたいところです。

弘前藩の2代藩主・津軽信牧が、誓願寺に葬ったとされていますが、戒名は「清光院殿面松斎大居士」です。
この「院殿大居士」の号は、本来は藩主だけに許された格式の高いものであり、沼田面松斎が、津軽家から重んじられていたかが伺えます。

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