カテゴリー:戦国武将

  • 土器山の戦い

    赤松政秀~土器山の戦いと母里武兵衛・母里小兵衛

    1569年6月頃、青山の戦いの翌月にあたるが、赤松政秀が再び兵3000を率いて姫路城へと攻めて来た。 黒田官兵衛が仕える小寺政職は殆どの兵を連れて、赤松義祐と置塩城に籠城。 攻めて来た赤松政秀は小丸山に布陣。…
  • 後藤又兵衛

    後藤又兵衛(後藤基次)~不運な晩年を過ごし大阪城に入る

    後藤基次(ごとうもとつぐ、後藤又兵衛)は1560年、播磨国姫路近郊の神東郡山田村に生まれたとされる。  父は後藤基国(後藤新左衛門、後藤将監、後藤将監基国)で、母は神吉頼氏の娘。なお、後藤又兵衛は2男だったよう…
  • 保科栄姫~黒田長政の正室

    保科栄姫(えいひめ、1585年~1635年1月12日)は、保科正直の娘で母は久松俊勝の娘・多劫姫。 ここでは、先に保科氏について記載しておきたい。 栄姫の父である保科正直は信濃の武将。 保科氏は高遠城主・諏訪頼…
  • 黒田節

    母里太兵衛 (母里友信)と黒田節~黒田家の猛将

     母里太兵衛(もりたへえ)の正式な名は母里友信(もりとものぶ、母里但馬守太兵衛)。  大男で髭も濃く、勇猛で頑固な性格だが、槍術に優れた剛力の勇将として知られ、栗山善助(栗山利安)と共に黒田軍の先手両翼の大将を務めた、…
  • 多気山城

    多気山城と多気氏の関係は?

    質問回答編とは? 当方関連サイトにお寄せ頂きましたご質問などに対して、相模原の歴史研究会所属会員が回答するものです。古い歴史にはわからないことが多いですので、もちろん歴史認識の違いや間違えなどがあるかも知れませんの…
  • お船の方・貞心尼~直江兼続の正室 

    直江兼続没後のお船の方 直江兼続は正室・お船の方と大変仲が良かったとされ、直江兼続は生涯側室を持っていない。 「お船の方」は直江兼続没後「貞心尼」と称し、上杉景勝から化粧料として3000石を与えられ、直江家の江戸…
  • 直江兼続~戦国の上杉家を支えた智勇兼備の名将(詳細年表)

    戦国時代に主君を支えた優秀な家臣がいく名かおりますが、その中で最も優秀だった一人に入るのが忠義の臣、智勇兼備の名将と言われる「直江兼続」です。そんな直江兼続について、できる限り詳細に年表形式にて記載してみました。 …
  • 松姫は松姫峠を通ったのか?

    松姫峠  大月市と小菅村を結ぶ国道139号に「松姫峠」があるが、下記の理由から歴史研究上では松姫はこの峠を越えていないとされ、松姫峠を通ったという説明は間違えである。  1.車で踏破するにも大月市側は…
  • 黒田一成~黒田官兵衛・黒田長政を支えた武勇高い名将

     黒田一成は1571年、伊丹村(兵庫県)に加藤重徳の次男として生まれ、幼少のころは玉松と呼ばれた。  父・加藤重徳は、有岡城主・荒木村重の家臣で、母は不詳。  1578年、織田信長の家臣になっていた荒木村重が謀反…
  • 戦国武将列伝Ω

    樋口兼豊(樋口惣右衛門兼豊)~直江兼続の父

    直江兼続の父・樋口兼豊 (樋口惣右衛門兼豊) について 樋口氏は木曽義仲の四天王の一人・樋口兼光(樋口次郎兼光)の末裔と伝わる由緒ある家柄。 直江兼続の父である樋口兼豊は、当ページの冒頭でも触れたとおり薪炭用人と…



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  6. 淀殿(よどどの)は1569年に近江・小谷城にて誕生した。 父は浅井長政で、母は織田信長の妹・お市の…
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