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タグ:おんな城主直虎
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今川家重臣の関口親永と井伊直平の娘「さな」とは~今川家に尽くすも無念の切腹
関口親永 関口親永(せきぐち-ちかなが)は、元は瀬名義広(せな-よしひろ)と称した、今川家の中でもトップクラスの重臣でした。 1518年生まれで、父は瀬名氏貞 母は堀越貞基の娘となります。 父・瀬名氏貞… -
松下常慶とは~謎の山伏も井伊家復興に大きく貢献する
松下常慶(まつした-じょうけい)ですが、NHKの大河ドラマ「おんな城主・直虎」においては、当初「なぞの人物」として描かれるかも知れません。 井伊家伝記によると、普段は浜松城下に住んでいたようですが、遠州・秋葉山の御礼(… -
井伊直虎とは おんな城主になった訳と次郎法師を知ろう【井伊家】
井伊直虎(いいなおとら)とは・・。 戦国時代に「直虎」と男性の名前を称して家督を継いだ「女城主」とは? 生涯独身を貫いた井伊直虎が遠江・井伊家断絶の危機を救った女領主となり、家名を存続させた波瀾万丈の「女地頭」とも称… -
今村藤七郎の忠義と貢献~今村正実とは?【おんな城主直虎】
今村藤七郎 今村藤七郎(今村正実、今村藤七郎正実)は井伊直満の家老で、1544年12月29日、10歳の井伊亀之丞を叺(かます)に隠して運びだし、井伊領である黒田の山中に隠れます。 しかし、追っ手が迫っ… -
木俣守勝 井伊家を筆頭家老として支えた名将 木俣守安も
木俣守勝(きまた- もりかつ)は木俣守時の子として1555年に誕生した。 木俣家は三河譜代の家柄であり、幼いころから徳川家康に出仕し、1570年に元服している。 通称は木俣清左衛門尉。 しかし、家族と仲違いして徳川… -
瀬名とは~築山殿は悪女だったのか?築山御前が殺害された本当の理由とは
築山殿(瀬名)とは 瀬名(せな)とも言う築山殿(つきやまどの)は、今川家一族の駿河持船城主・関口親永(関口刑部少輔)(または瀬名義広)の娘で1542年?に生まれたとされます。 母は今川義元の妹ですが、今川氏親の養… -
今川氏真と言う武将の才覚~今川氏真に足りなかったものは?
今川氏真(いまがわ-うじざね)は、駿河・遠江・三河の3ヶ国を受け継いだ戦国大名であり、第11代の今川家当主です。 幼名は龍王丸(りゅうおうまる)。 父は今川義元で母は定恵院(武田信虎の娘)であり、血筋も悪くな… -
「龍潭寺」みどころと南渓和尚と呼ばれた南渓瑞聞とは~井伊家発祥の井戸も大河ドラマで注目
南渓瑞聞(なんけい-ずいもん)とは、井伊谷城主・井伊直平の次男である。 生年は不明。 戦国初期の武家では、次男は幼い時分から「出家」させられる事が多く、井伊家も当然のように2男は出家させられた。 こうして、南渓… -
小野政直 小野政次 小野玄蕃 小野朝之 【井伊家の重臣である小野家の真実】
井伊家の家臣でありながら親今川家で、2度も井伊家に謀反を起こし、おとしいれたとされる小野家について調べてみました。 まず、この「小野家」は京都の貴族につながる名門、小野小町を輩出した小野家の庶流と考えられていま… -
奥山親朝とは~奥山朝利と娘・しの【井伊家一族】奥山六左衛門と奥山孫一郎も
井伊直虎や20代・井伊直政の井伊一族に「奥山家」(奥山氏)(浜松市北区引佐町奥山)がいる。 井伊谷庄を本貫とする井伊家(本家)の8代・井伊盛直の子から分家ができ、子の井伊俊直が赤佐氏を称し赤佐俊直、その曾孫である赤…