松下源太郎とは~井伊直政の母が再嫁した松下清景と井伊家の関係

松下源太郎(松下清景)

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松下清景とは

松下清景(松下源太郎、松下源太郎清景、松下源左衛門)は 松下之綱(松下加兵衛之綱)の兄とも、松下常慶の兄ともされ、徳川家康の家臣。
井伊直政の生母である奥山親朝の娘(奥山朝利の娘とも?)と結婚したことから、のちに井伊家の筆頭家老となった。
そして、中野直之の次男・中野一定を養子に迎えている。

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1590年に井伊直政が上野の箕輪城主となった際にも従った。
この時、箕輪城では、家老として稲荷郭に屋敷を設けたようだ。

1597年5月29日、松下源太郎清景は上野にて没する。
法名は本光院心月不染居士で、墓は上州の箕輪・龍門寺にある。

跡は、井伊谷三人衆と関連ある中野直之の次男が、松下家の養子となって松下一定(松下志摩守一定)と称してが継いでおり、井伊家の家老職を担った。
井伊直政の長男・井伊直継(井伊直勝)が1615年2月に改易されて、彦根から安中藩3万石となると、中野直由の妻が上州・井徳山龍潭寺の建立を松下一定に願い出た為、松下一定は龍潭寺に鐘楼を寄進している。

なお、浜松には松下家の本拠とされる頭陀寺城(ずだじじょう)がある。別名は市場城、松下屋敷跡とも言う。

松下源太郎(松下清景)

松下源太郎清景の松下家の本拠と言う事になるが、浜松にある頭陀寺城主だったのは松下之綱(まつした-ゆきつな)である模様で、同じ一族と推測は出来ても、松下源太郎清景の本貫は不明と言える。

浜松・松下屋敷跡

江戸時代に旗本となっている松下家は、13家もあり、それだけ本家・分家とたくさん枝別れしているので、松下源太郎(松下清景)に関しては、わからないことが多い。

松下屋敷跡

ちなみに、松下之綱はまだ若い豊臣秀吉織田信長に仕官する前に、仕えていたとされる武将でもあり、松下之綱の娘・おりんは、柳生宗矩に嫁いでいる。

松下屋敷跡

さて、松下屋敷跡(頭陀寺城)への行き方であるが、浜松城からだと車で10分ほどの場所となる。
公園の西側の道路が駐車禁止にはなっていなかったので、短時間止めさせて頂いた。

頭陀寺城

下記のGoogleオリジナルマップで場所も示しており、スマホで表示すればカーナビとしてご活用頂ける。

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