森長可 武勇から「鬼武蔵」と称され槍術が得意だった武将



森長可(もりながよし)は、森可成の二男として1558年に誕生した。
母の名は、えい(妙向尼、林通安の娘)。
1570年に父・森可成の討死し、森長可は13歳にして家督と遺領を継いで、美濃・金山城主となり、織田信長の家臣に列した。
東美濃衆をまとめて、小田信長の嫡男・織田信忠に仕えた。
正室は池田恒興の娘。


甲斐・武田勝頼攻めでは、団忠正と共に先鋒を務めて活躍し「鬼武蔵」の異名をとる。
武田氏滅亡後、恩賞として信濃川中島4郡(高井・水内・更級・埴科)と海津城20万石を与えられた。
旧領となった美濃・金山城は弟・森蘭丸に与えられている。

美濃・金山城

明智光秀本能寺の変により織田信長と弟・森蘭丸が横死すると、柴田勝家を支援して越後で上杉景勝と戦っていた森長可は窮地に陥った。
信濃の国人衆が、織田信長の死を知り裏切り、一揆も勃発したのだ。
しかし、人質を楯にうまく脱出し旧領への撤退を成功させている。

清洲会議で羽柴秀吉(豊臣秀吉)が実権を握ると池田恒興と共に臣従。

徳川家康織田信雄との小牧・長久手の戦いでは、井伊直政と激戦となる。
しかし、森長可は池田恒興と共に討死した。
2人は、徳川家の安藤直次に討ち取られたとされる。


この合戦直前、尾藤知宣に「決して自分の娘は、武士の妻などにはせぬように」と遺言を残している。

鬼武蔵と呼ばれた森長可が討ち死にした場所は、長久手古戦場公園から西側にある。
小さな公園の北側に「武蔵塚」があった。

森長可の塚「武蔵塚」

森長可は白地の陣羽織を着用し、その武勇どおり奮戦していたと言う。

武蔵塚

井伊直政の部隊の銃弾を浴びて討死したと言うが、一説によると、眉間に弾が当たり、即死だったと言う。

森長可

武蔵塚がある正確な場所は、当方オリジナルのGoogleマップにて示している。

森名可の墓もある長久手の常照寺など、現地の史跡は下記にてご参考願います。

長久手の戦いの「流れ」をわかりやすく解説~史跡写真と共に・・【小牧長久手の戦い】
森可成~攻めの三左と呼ばれた槍の名手
森坊丸とは~森長隆も本能寺の変にて
森蘭丸~将来を嘱望された織田信長の小姓
美濃・金山城(兼山城) (続日本100名城) 斎藤正義も
昊天と傑山~龍潭寺の僧で南渓和尚の弟子の井伊家での活躍
春日信達~海津城主として上杉につくも真田の調略に応じる
安藤直次 三河の硬骨な教育者
岩崎城の戦い~岩崎城主の丹羽氏次と丹羽氏重とは【小牧長久手の戦い】
「尾張・美濃」にある戦国史跡跡オリジナル地図(Googleマップ)

 

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