昊天と傑山~龍潭寺の僧で南渓和尚の弟子の井伊家での活躍

龍潭寺

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2017年のNHK大河ドラマ「おんな城主・直虎」に登場する臨済宗妙心寺派の龍潭寺の僧侶である昊天傑山は、井伊直政にとっても深く関係する僧侶です。

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昊天

昊天(こうてん)は、龍潭寺の南渓和尚(南渓瑞聞)の一番弟子で、長刀(なぎがた)の名人でもありました。
大河ドラマでは小松和重さんが演じられます。

のち、龍潭寺5世となっている他、奥山方広寺の院代にも就任しています。

1584年、小牧・長久手の戦いの直前頃から、僧侶のまま井伊直政に仕えるようになりました。
この時、南渓和尚は井伊直政が先陣を務めると聞き、昊天と傑山に龍潭時に伝わる「日月松の扇」を持たせて同行させたと考えられます。

関ヶ原の戦いのあと井伊直政が没すると遺命により、昊天は佐和山城の麓に豪徳庵を建立しました。
ただし、引き続き井伊谷の龍潭寺住職も務めています。

そして、慶長16年(1611年)3月16日、昊天宗建(こうてん-そうけん)は、臨済宗妙心寺派の本山となる京都・妙心寺の住職(97世)となっています。

元和元年(1615年)には彦根の弘徳山・龍潭寺(下記写真)を開山。

冒頭では「長刀の達人」と明記しましたが、これは井伊谷の龍潭寺に残る伝承で、彦根の龍潭寺では「強弓の達人」とされ弓が現存します。
そのため、井伊直虎や井伊直政らが子供の頃、昊天や傑山から学問だけでなく武術を学んだのは間違いないでしょう。

この頃、弟子の大龍和尚が、安中に井徳山・龍潭寺を創建し、昊天宗建を開山に迎えています。

井伊家は、関ヶ原のあと、安中藩と彦根藩に別れていますが、安中の井徳山・龍潭寺は、井伊家の重臣・中野直由の妻が、安中藩での菩提寺とするため、重臣・松下一定に創建を願い出たと言われています。

寛永元年(1624年)、井伊谷住人である与三左衛門ら6名が山の使用権を巡って争いとなり、近藤秀用に捕縛されそうになる事件が起きます。
近藤秀用は、大坂の陣にで武功を挙げ、元和5年(1619年)から15000石にて井伊谷藩主となっていました。

この時、与三左衛門らが龍潭寺に逃げると、昊天宗建は匿ったので、与三左衛門らは救われています。
要するに、龍潭寺は藩主でも権限が及ばない、聖域だったわけですね。
仕方なく近藤秀用は与三左衛門らの妻子を捕まえて牢に入れています。
そのため、昊天宗建は近藤秀用に6名を許すように2回も願い出ていますが、その甲斐もあって妻子は釈放されたようです。

寛永8年(1631年)2月6日、井伊谷藩主・近藤秀用が没し、奥山方広寺に葬られると、昊天宗建が葬儀を行いました。

なお、昊天宗建は正保元年(1644年)12月10日に没しています。

傑山

傑山(けつざん)も昊天と同時期の龍潭寺・南渓和尚(南渓瑞聞)の弟子ですが、南渓和尚の死後、龍潭寺3世となっています。
そのため、昊天よりは年上だったと考えて良いでしょう。
この傑山宗俊(けつざんそうしゅん)も強弓の名人として知られます。

昊天と共に1584年、豊臣秀吉と対決した小牧・長久手の戦いの際には井伊直政に同行して、徳川勢の先陣に加わりました。
黙宗瑞淵(龍潭寺開山の僧)が天照大神から授かったとされる「日月松有之金銀の扇子」を南渓瑞聞から託されています。

大河ドラマではこの昊天と傑山の活躍もあり、井伊直政が豊臣勢の森長可と激戦を制するのに貢献すると推測できます。

1589年に南渓和尚が没すると、遠江・龍潭寺の住職を継ぎました。

天正18年(1590年)、小田原攻めのあと、徳川家康が関東に移封されると、傑山は京の豊臣秀吉を訪ねて、龍潭寺の寺領安堵の朱印状をもらっています。

文禄元年(1592年)12月5日に傑山宗俊は没しています。

大河ドラマ「おんな城主直虎」では、傑山を市原隼人さんが演じます。

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