早川殿とは~北条家から今川家に嫁いだ北条氏康の長女の運命


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早川殿(はやかわどの)は、早河殿とも書きますが、今川氏真の正室になった女性です。
NHKの2017年大河ドラマ「おんな城主・直虎」では「春」と言う名の姫としても登場する「早川殿」を少し詳しくご紹介したいと存じます。

早川殿は、小田原城主・北条氏康の長女として生まれましたが、本名だけでなく誕生年や母も、よくわかっていません。

北条家の系図では、嫡男・北条氏政(1538年生まれ)よりも早川殿の名が先に記されているため、北条氏政の姉と推定できますが、そうすると、同じ1538年生まれの今川氏真よりは年上女房と言う事になります。
1554年7月に、17歳の今川氏真に早川殿は嫁ぎました。
4男1女の子供を設けたとされていますが、今川氏真の嫡男・今川範以が生まれたのは1570年とかなり遅いです。
仮に早川殿が、1537年生まれだとすると、33歳で出産したことになり、当時にしては高齢出産であったとも考えられます。
そのため、北条氏政よりは年下で妹だったのではとする説もあります。

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まぁ、いずれにせよ、1554年に、武田信玄北条氏康今川義元のあいだで、甲相駿三国同盟(こうそうすんさんごくどうめい)が結ばれ、その証として早川殿が今川氏真の正室として駿府に赴きました。
甲斐に残る妙法寺記に、早川殿の輿入の行列の見事さが記されています。
そして、最初は長女(吉良義定の正室)を儲けたと考えられます。

しかし、1560年、桶狭間の戦いにて今川義元織田信長に討たれると、跡を今川氏真が継ぎますが、今川家は衰退の一途を辿ります。
ついに武田信玄が同盟を破って、1568年2月に駿河に侵攻すると、早川殿は今川氏真と、まずは掛川城へ逃れました。

早川殿には、武田勢から輿も与えられず、着のみ着のままで徒歩で逃れたとされています。
当時、姫の長距離移動には武士の情けとして敵味方なく「輿」を用意するのが礼儀とされていましたので、この武田の所業に激高した北条氏康は同盟を破棄して、上杉謙信と同盟を結んだとも言われています。

西からは徳川家康が攻勢を掛けていたため、1569年5月17日、今川氏真は掛川城を開城して北条家を頼って逃れました。
今川氏真(32歳)と早川殿・長女の一行は、伊豆・戸倉城(大平城とも)を与えられますが、のち小田原に移ると、北条家から「早川」の地に屋敷を与えられます。
そのため、今川氏真の正室は「早川殿」と呼ばれることになったのです。
この早川にて、1570年、長男・今川範以を生みました。

1571年10月には、早川殿の父・北条氏康も死去し、跡を継いだ北条氏政が甲相同盟を結びます。
当時の駿河は、武田の支配下となっていたので、これで、今川氏真の駿河復帰は困難となりました。
そのため、1571年12月、今川氏真と早川殿らは、小田原から海路にて抜け出して、浜松城徳川家康を頼ることになります。
この出奔は、武田信玄が、今川氏真を暗殺しようと企んだのを怒った、早川殿が知って退去したと言う史料もあります。

1576年には諏訪原城を攻略した徳川家康より、諏訪原城の名を改めた牧野城主として今川氏真が配置されました。

諏訪原城

しかし、1577年からは浜松城下に居住し、今川氏真は静かに暮らし始めます。

早川殿は1576年に次男・品川高久、三男・西尾安信、天正7年(1579年)には四男・今川澄存を産んでいます。
その後、早川殿の動向は亡くなるまで不明です。

今川氏真と共に行動していたとすると、北条家が滅亡すると京に移って豊臣家の庇護を受けたと考えられます。
次男・品川高久は、徳川秀忠の直臣として高家旗本になっています。
そして今川氏真は、1612年、徳川家康から品川に屋敷を与えられ、京から江戸に出ていますので、早川殿も共に移ったとも推測できますが、今川氏真は1615年12月28日に死去。
早川殿も、吉良義定に嫁した娘に看取られて、1613年2月15日、亡くなりました。

長男・今川範以は、今川家復活の際に跡を継ぐためか、どの大名にも仕官しないまま、1607年に先立ちました。
3男・西尾安信は伝十郎とも呼ばれますが、1613年に没しています。
4男・澄存は僧侶として熊野三山の奉行を担当しました。
長女は吉良義定に嫁ぎ、その血筋が米沢藩上杉家などに伝わっています。
忠臣蔵(赤穂浪士)でも有名な吉良上野介の家系に繋がります。

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