今川家重臣の関口親永と井伊直平の娘「さな」とは~今川家に尽くすも無念の切腹


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関口親永

関口親永(せきぐち-ちかなが)は、元は瀬名義広(せな-よしひろ)と称した、今川家の中でもトップクラスの重臣でした。
1518年生まれで、父は瀬名氏貞 母は堀越貞基の娘となります。

父・瀬名氏貞は遠江・二俣城主を務めたあと、駿河の庵原郡瀬名村(静岡県静岡市葵区瀬名)に移りました。

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なお、瀬名義広(関口親永)は次男であり、兄の瀬名氏俊(瀬名貞綱)が瀬名家を継ぐ立場です。
当時の通例としては、次男である瀬名義広(関口親永)は、僧侶として寺に出されてもおかしくないのですが、転機が訪れました。

今川刑部少輔家(今川関口家)と言う、今川家の一族である関口氏縁の養子となり、関口家の家督を相続したのです。
なお、今川氏親から偏諱を受け、関口親永と改めています。
そして、妻には、今川氏親の養女(井伊直平の娘)を迎えたと言う事になります。

2017年NHK大河ドラマ「おんな城主・直虎」では井伊直平の娘を「佐名」(さな)としています。
井伊直平の娘である佐名ですが、実際の名前は不明ですが、この井伊直平の娘は、今川家の人質を経て、今川家の重臣・関口親永の正室となった模様です。

そして、のち松平元康、要するに徳川家康の正室となる瀬名姫(築山殿)を1542年頃に産みました。

また、関口親永は重臣として駿河・持船城主となり、また室町幕府の奉公衆も務めました。

永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いにて織田信長に敗れて、今川義元が討死します。
しかし、関口親永は跡を継いだ今川氏真を支えましたが、娘婿の徳川家康が今川家から独立します。
そのため、今川氏真から謀反を疑われた、永禄5年(1562年)に駿府尾形町の屋敷にて切腹を命じられました。
そして、1568年には武田信玄の侵攻を許し、今川家は崩壊したのです。

ちなみに、娘となる瀬名姫(築山殿)は、松平信康を産み、その娘・登久姫から繋がる系譜は、幕末の仁孝天皇→孝明天皇明治天皇と繋がるので、関口親永は現在の今上天皇の直系祖先と言えます。

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