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源頼朝の生涯【鎌倉幕府・征夷大将軍】旧相模川橋脚も
源頼朝とは 源頼朝(みなもと-よりとも)は、源氏の頭領である、源義朝の3男として、1147年4月8日に尾張の熱田神宮西側にあった神宮大宮司の藤原季範別邸(現在のの誓願寺)にて生まれた。 母は正室の由良御前(藤原季… -
石橋山古戦場(石橋山の戦い)【源頼朝挙兵】参加武将など合戦経緯と訪問方法(駐車場)
石橋山の戦い 鎌倉幕府を開いた事で知られる源頼朝の父である源義朝は、源氏の頭領として平家に挑みますが、1159年平治の乱で敗れて殺害され、勝利した平清盛は、三男であった源頼朝を伊豆に流罪とします。 そして、流刑の… -
畠山重忠 武蔵最大勢力として忠義を貫いた武士の鑑
畠山重忠とは 畠山重忠(はたけやま-しげただ)は、平安時代の末期である1164年に、武蔵国畠山荘の豪族・畠山重能の子として、畠山館で生まれました。 母は正室である三浦義明の娘となりますが、側室である江戸重継の娘が… -
土肥実平 土肥遠平(小早川遠平) 湯河原・城願寺の土肥一族の墓
土肥実平・土肥遠平(小早川遠平)とは 城願寺(じょうがんじ)は、土肥実平(どひ さねひら)が創建したされる曹洞宗の寺院で、神奈川県の湯河原温泉にあります。 この土肥実平(土肥次郎実平)は、桓武平氏良文流の有力豪… -
三浦義澄 三浦義村 三浦半島にある三浦義村の墓
三浦義澄・三浦義村とは 三浦義村(みうら-よしむら)は、相模・三浦郡矢部郷の領主・三浦義澄(みうら-よしづみ)の次男として生まれたが生年は不詳。 母は正室・伊東祐親の娘と考えられる。 兄の三浦友澄が承久の乱にて… -
源実朝公御首塚と波多野城~本当の波多野城跡は?
秦野は古来に朝鮮から渡って来た秦氏らが、大磯から相模に上陸して、ここ秦野まで進出した場所と考えられている。 その秦野を流れる金目川沿いにあるのが波多野城跡と言う事になり、歴史小説家・永井路子さんも、その地勢を大絶賛… -
北条時政とは 伊豆韮山にある願成就院 執権・北条時政の生涯と牧の方について
北条時政とは 北条時政(ほうじょう-ときまさ)は、伊豆の田方郡北条(静岡県伊豆の国市)の豪族である北条時方(または北条時兼)の子として1138年に生まれた。 母は伊豆掾伴為房の娘。 京都で起きた平治の乱にて、平… -
大江広元 鎌倉幕府の源頼朝に助言した初代政所別当と方園寺
大江広元とは 大江広元(おおえ-の-ひろもと、大江廣元)は、平安時代末期の1148年に生まれた。 出自については諸説あるが、武士ではなく貴族出身で鎌倉幕府に尽くした人物となる。 大江氏家譜においては、参議・藤原… -
和田合戦とは 経緯と戦闘詳細【和田義盛の乱】
鎌倉時代初期に支配した横山党をご紹介しましたが、このページでは、横山党が滅ぶ原因となった「和田合戦」についてご紹介致します。 和田合戦前の鎌倉幕府 横山党が滅ぶ原因となった和田合戦は、1213年5月2日に鎌… -
新井城(荒井城) 三浦道寸の墓 三浦半島、三浦氏・三浦水軍の拠点
まずは相模・新井城(あらいじょう)の生い立ちからご紹介したい。 鎌倉幕府創設に多大な貢献をした三浦氏であったが1213年、新井城からも程近い和田城を領し、幕府の侍所を努めていた三浦一族の和田義盛が和田合戦で執権・北…