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織田信忠 (奇妙丸) 偉大な父に認められるも本能寺の変に散った26歳の命
織田信忠(おだ-のぶただ)は、織田信長の嫡男。母は生駒吉乃とする説もあるが、異説もある。幼名は奇妙丸。 織田信長の跡取りとして、合戦でも総大将として指揮を取る機会も増え、順調に成長し、武田攻めでは武田勝頼を早期に滅ぼす… -
山崎吉家 朝倉家の宿老になる軍略に優れた武将
山崎吉家(やまざき-よしいえ)は、戦国時代の武将で、越前・朝倉氏に仕えた山崎長吉の子として生まれました。 生年や母の名は不詳です。 初見としては、1506年に、 加賀一向一揆が越前・九頭竜川へ進出した際に、 朝倉宗滴… -
足利義昭とは 信長包囲網など外交手腕に優れた最後の室町幕府将軍
足利義昭(あしかが-よしあき)の生まれは戦国時代の1537年11月13日、父は室町幕府12代将軍・足利義晴。母は近衛尚通の娘・慶寿院。 2男(次男)であった為、足利将軍家の家督相続者以外の子として、1542年11月20… -
明智光秀の解説【麒麟がくる】数奇なその生涯 本能寺の変と最後の地も
明智光秀(あけち-みつひで)は、戦国時代の武将で、一介の浪人から織田信長に仕えると、その卓越した才能を発揮し、織田家の中でも異例の出世をする。 所領では税金を軽減して治水工事を行うなど善政も見られ、はたまた連歌会を催す… -
三淵藤英とは 足利義昭の擁立に尽力し最後まで再興を試みた幕臣
三淵藤英(みつぶち-ふじひで)は、室町幕府の申次衆で、山城・大法寺城主である三淵晴員の子として戦国時代に生まれました。 そもそも和泉・細川家の一族であり、弟は養子に出されて細川藤孝(細川幽斎)となっています。 2… -
蜂須賀小六(蜂須賀正勝)の解説 豊臣秀吉の腹心
蜂須賀小六(蜂須賀正勝)は、1526年、蜂須賀城主・蜂須賀正利(200貫)の長男として誕生した。続柄は不明とする説もある。 母は宮後城主・安井重幸(安井弥兵衛、安井弥兵衛尉重幸)の娘・安井御前。 この蜂須賀氏は、尾張… -
細川忠興 文武両道の名将として戦国の世を・・
細川忠興(ほそかわ-ただおき)は、戦国時代の1563年11月13日に京都で誕生。 父は、室町幕府13代将軍・足利義輝に仕える細川藤孝(細川幽斎)で、長男として生まれた。 母は、正室・沼田麝香(ぬまたじゃこう、若狭熊川… -
赤井直正 明智光秀に死を覚悟させた丹波の赤鬼
赤井直正(あかい-なおまさ)は、丹波の赤鬼として恐れられた猛将です。 明智光秀が織田信長の命令で丹波を攻めたのは天正年のことでした。 数々の戦を経験した光秀でさえも丹波攻めは難航したらしいです。 その理由は赤井直正… -
加藤光泰の生涯【経験豊富で貴重だった豊臣秀吉の家臣】
加藤光泰(かとう-みつやす)は美濃・斎藤道三の家臣・加藤景泰(70貫文)の長男として、1537年に美濃国多芸郡今泉村橋詰庄にて生まれた。 そもそも加藤家と言うのは、藤原氏流であり、源頼義の家臣・藤原景道が「加賀介」にな… -
明智光慶 謎が多いが存在が認められている明智光秀の息子
明智光慶(あけちみつよし)に焦点を当ててみたいと思います。 言わずと知れた明智光秀にはあまり知られていない息子がいました。 親ばかり注目がいく中で今回は嫡男とされているのが、明智光慶です。 きっと大河ドラマの「…