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伊東祐親の解説 八重姫の父で源頼朝の命を狙う
伊東祐親とは 伊東祐親 (いとう すけちか)は、平安時代末期の武将で、伊豆の豪族・伊東祐家の子として産まれましたが、生年は不詳です。 伊東氏は、藤原鎌足から続く藤原南家(藤原不比等の長男・藤原武智麻呂)の流れをく… -
比企能員(ひき-よしかず)の解説 北条氏のハメられた?【比企能員の変】
比企能員とは 比企能員(ひき-よしかず)は、鎌倉時代初期に活躍した武将(鎌倉幕府・御家人)です。 比企氏(ひきし)の本拠地は武蔵国比企郡(埼玉県比企郡と東松山市)で、下野と武蔵の国司だった国藤原秀郷の末裔を称して… -
鎌倉幕府とは 武家政権設立までの道のりをわかりやすく
鎌倉幕府(かまくら-ばくふ)は、源頼朝が鎌倉(神奈川県鎌倉市)に樹立した日本で初めての武家政権とされます。 成立時期は議論が分かれるところですが、下記の諸説があります。 1180年、源頼朝が伊豆韮山にて挙兵した時… -
八田知家 源氏4代に仕えた常陸守護【鎌倉殿の13人】
八田知家とは 戦国時代、常陸国の名家として名を馳せていた小田氏。 その祖を辿ってみると、なんと鎌倉時代に源頼朝と共に戦った御家人にまで遡りました。 その御家人は八田知家(はった-ともいえ)という人物で常陸・小田… -
神官+武士=金刺盛澄 (諏訪盛澄)
神官という言葉で連想するのは神のために信仰を行う戦いとは縁遠い者たちだと一般では認識してしまいがちです。 しかし、平安時代末期の源平合戦時には神官の身分でありながらも武装して戦った神官がいました。 その者の名前は… -
楠木正成とは 大楠公の知謀を探る~日本史上に残る知将の戦いとその魔術とは
楠木正成(くすのきーまさしげ)の生誕についての詳細は、はっきりしておらず鎌倉時代の末期、1294年(永仁2年)頃とされ、生い立ちも諸説ある。 南北朝時代の後醍醐天皇即位、鎌倉幕府滅亡から建武の新政や、その崩壊と南北朝分… -
玉井助重とは~源頼朝の愛憎深き猛将~
玉井助重(たまのい-すけしげ)は、『平家物語』『吾妻鏡』『保元物語』などの諸資料に登場する鎌倉初期の武士です。 史料によって評価が異なる同時代の人物としては平清盛、梶原景時などが著名ですが、この玉井助重もマイナーながら… -
竹崎季長とは~『蒙古襲来絵詞』を残した義理堅い勇将~
前回、北条時宗と彼の事績について紹介しましたが、二度にわたる元寇を語るに欠かせないのが、今回紹介する竹崎季長(たけざき-すえなが)です。 彼は自らの戦役経験を『蒙古襲来絵詞』で残した功労者として有名ですが、それにとどま… -
満願寺と阿蘇流北条氏~元寇や鎌倉滅亡にも関与した阿蘇の北条一族
熊本県南小国町にある満願寺(まんがんじ)の小国郷は鎌倉時代、執権・北条家の所領でした。 そして、1274年、文永の役の際に鎮西奉行となっていた北条時定が、国土安泰を祈願して建立したと伝わります。 満願寺の庭園… -
横山党 武蔵七党の最大勢力
横山党を率いるのは横山氏で、豪族「小野氏」(近江国小野村)(現在の大津市)の小野篁から数えて9代目後裔とされる横山義隆が、現在の八王子の「横山庄(別名:舟木田庄)」にやってきたと一般的には考えられています。別の呼び方では…