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タグ:キリシタン
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オルガンティノの解説 日本人をこよなく愛したイタリア人宣教師
グネッキ・ソルディ・オルガンティノ(ニェッキ・ソルド・オルガンティーノ)は、日本の戦国時代にあたる、1533年(1530年説あり)に北イタリアのカストで生まれました。 1556年、イタリアのフェラーラで20代の若さでイ… -
内藤如安の解説「キリシタンの鑑」と称された松永久秀の甥~波乱万丈の生涯
内藤忠俊(ないとう-ただとし)は、戦国時代~江戸時代前期のキリシタン武将で、松永弾正久秀の甥にあたる人物です。 キリスト教の受洗名がジョアンであったため内藤如安(ないとう-じょあん)と名乗っていました。 幼名は五郎丸… -
大友宗麟(大友義鎮)の解説 国崩し・豊後の王
大友宗麟は、豊後国(大分県)の府内にて、1530年1月3日に誕生。 父は豊後大友家第20代当主・大友義鑑。母は大内義興の娘。 幼名は塩法師丸。別号に宗滴、三非斎など。 傅役は重臣・入田親誠(津賀牟礼城城主)だが、の… -
高山右近の解説 6万石になったキリシタン大名はマニラで没した?
高山右近とは 高山右近(たかやま-うこん)は、戦国時代の1552年、三好長慶の重臣・松永久秀に仕えている沢城城主・高山友照(高山ダリヨ)の嫡男として、摂津の国・高山(現在の大阪府豊能郡)で生まれた。 母は洗礼名が… -
曲直瀬道三とは 戦国の世を治療した医聖
戦乱の時代ともなると傷付いたり、それから来る病に苦しむ人も多く、様々な医学が発達しました。 本項で紹介する曲直瀬道三(まなせ-どうさん)は、そうした医学を学んで多くの人を治療した、戦国時代の我が国における名医の一人です… -
小西行長の解説 頭脳派として豊臣秀吉の交渉人を務めた武将
小西行長(こにし-ゆきなが)は、1558年、和泉・堺の商人である小西隆佐(小西立佐、洗礼名ジョウチン)の次男として京都で生まれた。 母の名は、小西ワクサと呼ばれる女性で、洗礼名はマグダレーナ。 父・小西隆佐(… -
天草史郎時貞~日本史上最大にして悲劇の一揆を指揮した少年
江戸期初期、長崎県・島原において起こった大規模な一揆である島原の乱は、幕府による凄惨な弾圧に対抗したキリシタンたちの反乱として、現代の人々も知るところであろう。 小学校などでの通り一変の歴史の授業では、天草四郎を総大将… -
中浦ジュリアンとは 優しいけどちょっと頑固な中浦ジュリアン神父
天正遣欧少年使節の4人の紹介。 最後は副使「中浦ジュリアン」(なかうら-じゅりあん)です。 正使の伊東マンショ、千々石ミゲル、同じく副使で語学と交渉術に長けていた原マルチノに比べると、あまり目立たないジュリアン。 … -
千々石ミゲルとは~天正遣欧少年使節でローマに渡るもキリスト教を棄教
今回紹介するのは、天正遣欧少年使節のもう一人の正使、千々石ミゲル(ちぢわ-ミゲル)。 千々石ミゲルは使節の中で唯一、のちに棄教した人物として知られています。 棄教した理由については様々な説がありますが、それを決定付け… -
原マルチノとは~キリスト禁教令によりマカオに追放された数奇な運命
原マルチノとは 末っ子は甘えん坊なんてイメージがありますね。 でも、案外、年下の妹や弟の方がしっかりしてるなんていう人もいるのではないでしょうか? 天正遣欧少年使節のメンバーは4人とも生年は断定できていませんが…