曲直瀬道三とは 戦国の世を治療した医聖

曲直瀬道三


戦乱の時代ともなると傷付いたり、それから来る病に苦しむ人も多く、様々な医学が発達しました。
本項で紹介する曲直瀬道三(まなせ-どうさん)は、そうした医学を学んで多くの人を治療した、戦国時代の我が国における名医の一人です。
曲直瀬道三は永正4年(1507年)、近江源氏の佐々木氏庶流にあたる堀部左兵衛親真と、多賀氏(滋賀県の氏族)出身の女性との間に生まれました。
母は道三を生んだ翌日に亡くなり、父も同年に戦死し、幼くして天涯孤独の身となります。
一方、『近江栗太郡志』の記録では佐々木氏の父と目賀田攝津守の娘を母に持ち、両親が死んだ後に伯母に引き取られて養育されたとも言われています。


幼少期の道三についても諸説あり、大光寺(滋賀県)の吉祥院で学んだとも、永正13年(1516年)から京都・相国寺で喝食(かっしき。禅寺で食事などを知らせた職だが、当時は稚児を指した)になり、学業を修めたとも言います。
道三が曲直瀬と名乗ったのはこうした修業時代で、享禄元年(1528年)には関東の足利学校で学びました。

このように向学心旺盛な20代の若者になっていた道三青年を惹き付けたのが医学です。
彼は当代きっての名医であった田代三喜に佐野ノ赤見(栃木県)で出会って師事し、三喜は中国の明王朝から伝来した最新の漢方を道三に伝授しました。

18年後の天文15年(1546年)、幼き頃から寺で過ごしてきた道三は京都へ戻って還俗し、医学者としての職務に没頭します。
彼の診察を受けたのは将軍・足利義輝をはじめ細川晴元や三好長慶など室町幕府の首脳達であり、他にも松永久秀に『黄素妙論(こうそみょうろん。性技指南書)』を献じたり、『啓迪院(けいてきいん)』と言う学校を開校して医学教育を広めるなど、道三の医術は多岐に渡りました。

永禄3年(1560年)には皇室にも仕えることとなり、その2年後には幕府による芸・雲和平調停に協力して毛利氏の下に派遣され、それ以降は毛利元就を治療するために中国地方に行くこともありました。
これがきっかけとなって、毛利氏との関係性は道三の医術を広く知らしめることとなります。

永禄9年(1566年)に尼子氏を攻めていた元就が病に倒れた時には治療にあたり、その陣中で門弟に語った療法を記したものが『雲陣夜話』です。
その後も道三と毛利の交流は続き、天正16年(1588年)には上洛した毛利輝元を曲直瀬邸で饗応し、祝儀として多額の金銭を賜ったとも言われています。


永禄9年から12年(1569年)の約3年間、曲直瀬道三は代々医道に関心を持っていた能登畠山氏と交流しており、9代目に当たる畠山義綱の中風治療に当たっています。
天正2年(1574年)、正親町天皇に拝謁して治療を行った時には自著である『啓迪集』を天皇に献じ、勅を受けた禅僧の策彦周良が序文を作りました。
また、織田信長が上洛した際に診療を行い、信長から天下第一の香木と言われた蘭奢待を賜っています。

このように漢方医として活躍した道三ですが、活躍は医学に留まらず、茶の湯を始め文化人としても幅広い分野で名を残しました。
天正12年(1584年)には、豊後でイエズス会宣教師のオルガンティノを診察した事が起因となってキリスト教徒となり、ベルショールの洗礼名を受けます。

天正20年(1592年)には後陽成天皇から橘の姓と今大路の家号を賜り、栄達した道三でしたが、その2年後の文禄3年(1594年)に87歳で死去しました。
道三は長男の守眞を若くして亡くしており、妹の息子にして孫娘の夫である玄朔を養子にして後を継がせています。


その後、曲直瀬道三が賜姓された今大路家は江戸幕府の奥医師のトップに位置する典薬頭として世襲し、永らく官医として続くこととなります。
武将だけでなく、皇室や貴族、僧侶、文化人、宣教師など多くの人を救う医術を極める人生を送った曲直瀬道三は、永田徳本や恩人の田代三喜と並ぶ“医聖”としてその名を歴史に刻んだのでした。

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