毛利輝元とは【かろうじて毛利家をつないだ戦国大名】


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毛利輝元(もうり-てるもと)は、毛利隆元の嫡男として1553年1月22日に生まれた。幼名は幸鶴丸。
母は正室である尾崎局(内藤興盛の娘で、大内義隆の養女)。

父・毛利隆元が出陣先にて急死したため、1563年、11歳のときに毛利家の家督を継いだ。
ただし、若年でもあった為、毛利家の舵取りは、祖父・毛利元就が行っている。
1565年に元服すると、13代将軍・足利義輝より「輝」の一字を与えられた毛利輝元と名乗り、月山富田城の戦いで初陣を飾っている。

正室は南の方(宍戸隆家の娘)で、側室に清泰院(児玉元良の娘)がいる。

毛利輝元は、苦労知らずの3代目とも言え、秘密事項もすぐ人に話したことから、毛利元就も「輝元は情けない」と手紙に綴った。
また、教育係であった叔父・小早川隆景からは、家臣の目が届かないところで、厳しく指導されていたとされおり、そのような人柄を裏付けている。

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1571年に、祖父・毛利元就が死去してからは、叔父の吉川元春・小早川隆景の補佐を受けて、毛利家の進む道を決断して行き、勢力を拡大した。

しかし、石山本願寺本願寺顕如を支援したことから、織田信長と対立し、羽柴秀吉の中国攻めでは毛利家に味方する諸将を結果的に充分に支援できず、次第に追い込まれていった。

1582年4月、水攻めを受けて板備中高松城の清水宗治の救援もできず、毛利家の外交僧・安国寺恵瓊との間に和睦を結んだ羽柴秀吉は、中国大返しで、本能寺の変を起こした明智光秀に勝利している。

1583年、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を打ち破った羽柴秀吉に対しては、叔父・小早川隆景の勧めに応じて、戦勝祝いを贈るなどして接近し、人質として毛利元総(のちの毛利秀包)と、従兄弟・吉川経言を出して、羽柴秀吉に臣従した。

1585年の九州攻めでは先鋒として武功を挙げたが、吉川元春と吉川元長の親子を病で失っている。

1589年には、広島城の築城を開始すると、1591年、長年の居城であった吉田郡山城から広島城に入り、豊臣秀吉より112万石を安堵されている。

1597年、小早川隆景が死去した際に、小早川家臣は養子・小早川秀秋に仕えることを拒み、毛利家に帰参している。
なお、小早川隆景の重臣・鵜飼元辰は出奔を企てたため、毛利輝元は殺害している。

同年1597年、毛利輝元は豊臣家の五大老に就任した。

1600年、石田三成関ヶ原の戦いでは、徳川家康に次ぐ実力者として石田三成や安国寺恵瓊の説得を受け、毛利輝元は西軍の総大将となり、大阪城・西ノ丸に入った。
これに危機感を抱いた吉川広家(吉川元春の三男)は、本多正信黒田長政などを通じて徳川家康と秘密裏に交渉している。

毛利輝元は関ヶ原の本戦には出陣せず、一族の毛利秀元と吉川広家を向かわせて大阪城に籠った。
毛利秀元は吉川広家に阻まれて、関ヶ原での戦いに加わる事ができず、合戦を傍観する羽目になっている。

関ヶ原で敗れたあとは、立花宗茂や毛利秀元の反対を押し切り、徳川家康に申し出ると「毛利家の領地は安堵する」と言う言葉を受けて、自ら大坂城を退去した。
しかし、大幅な減封と、吉川広家が毛利家当主にとの話になってしまう。

これに対し、吉川広家は徳川家への直談判した事もあり、毛利輝元は隠居を命じられたが、嫡男・毛利秀就に家督を譲り、周防・長門2ヶ国(37万石)を安堵とする大減封で事が収まった。

毛利輝元は剃髪して幻庵宗瑞と称し、形式的に初代の長州藩主・毛利秀就に家督を譲ったが、実質的には毛利家の差配は毛利輝元が行っている。
※幻庵宗瑞は北条早雲と同じ出家号である。

1604年、長門・萩城の築城を開始して居城とし、領国の米や五穀、特産品生産を奨励するなどした。

1614年、大阪冬の陣では、密かに重臣・内藤元盛を、佐野道可と偽名を称させて大坂城に送り込んだが、病を押して軍勢を率いて徳川勢についた。
1615年の大阪夏の陣においては、佐野道可こと内藤元盛を自害に追い込むなどして、毛利家を守っている。

毛利輝元は1623年に隠居が許されると、1625年4月27日、萩の四本松邸で死去した。享年73。

徳川家に煮え湯を飲まされた毛利家の無念は、幕末で大きな原動力になったとも言えるだろう。

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