宍戸隆家 毛利家を大きく支えた重臣筆頭

宍戸隆家

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宍戸隆家(ししど-たかいえ)は、安芸・五龍城主である宍戸元家(宍戸弥三郎元家)の子として戦国時代の1518年に生まれました。
母は山内直通の娘となります。

安芸・毛利家も、もとは大江広元が先祖で、相模の毛利荘から安芸に移った訳ですが、安芸・宍戸氏は、もとは常陸・小田城の小田一族であり、南北朝時代に足利尊氏に味方した戦功にて常陸・宍戸城から五龍城に移っていました。
安芸では、毛利氏と肩を並べる程の有力国人で、戦国時代には大内義隆に従い、わりと近くの吉田郡山城主・毛利家と争っておりました。
そのためか、父・宍戸元家は1581年に21歳の若さで討死しています。


この時、母・山内直通の娘は、実家に戻されたのですが、そのあと妊娠していることがわかり、宍戸隆家は母方の備後・甲山城主である山内直通の養育を受けて育ちます。
そして、大内義隆より偏諱を受けて隆家と名乗り元服すると、同じ一族の宍戸隆忠の後見を受けて、7歳のときに五龍城主となりました。

しかし、若いころには騙されやすいもので、家臣の諫言にて、後見役・宍戸隆忠を登城した際に殺害を指示しており、のちに悔やんで宍戸大明神として祀っています。

1523年に毛利元就が毛利家の当主になっていますが、1534年に和解し、毛利元就の娘・五龍局(ごりゅう-の-つぼね)を正室に迎えました。
毛利元就が直接五龍城を訪れています。

母が山内氏であったことや、7歳まで山内家に養育されていたこともあり、宍戸隆家が備後北部の国衆を 「御一手衆」として束ねる役割を担いました。

そして、生まれた長女は、伊予・湯築城主である河野通宣に嫁いでいます。
また、次女は吉川元春の長男・吉川元長の正室となり、三女である南の大方(清光院)は毛利輝元の正室になり、安芸・宍戸家と毛利一族は結束を固めました。
そのため、宍戸隆家は毛利一門として毛利元就の中国制覇へと、吉川元春や小早川隆景らと活躍しました。
毛利元就は宍戸隆家を一門同様に扱うようにと、毛利隆元らに命じています。
宍戸隆家も裏切ることなく、忠節を尽くし、江戸時代から長州藩になっても宍戸氏は一門筆頭として1万2000石にて家老を務めました。


五龍局は1574年に死去したため、継室には武田元繁の兄弟と推定される小河内繁継の姉が入っています。
宍戸隆家は1592年に死去。享年74。

また、湯築城主で伊予・河野氏の最後の当主の河野通軌も、宍戸元秀の子と宍戸氏一族で、もとは宍戸景好と称していたと考えられます。

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