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タグ:伊達政宗
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石川昭光 伊達一門筆頭となった政宗の伯父
伊達家16代目当主、伊達輝宗には多くの兄弟がおり、輝宗以外は他家へ養子としていきました。 養子となり名を変えても伊達一門として主家に忠誠を誓う兄弟もいましたが、中には養子先の事情により対立した人物もいました。 そ… -
蘆名義広の解説 当主不在の蘆名家の当主となった佐竹義重の次男
天正14年(1586年)、蘆名氏当主であった蘆名亀王丸(あしな-かめおうまる)が夭折すると蘆名家は当主不在の状態となってしまいました。 しかし、そんな混乱の最中他家の介入により、新たな蘆名家当主が選ばれます。 そこで… -
伊達政宗の解説 たった5年で114万石にした独眼竜政宗
5歳の時に疱瘡に掛かり、一命は取り留めるものの右目を失った梵天丸。 米沢にて虎哉和尚や片倉景綱に鍛えられた伊達政宗は、1579年、13歳の時に三春城主・田村清顕の娘である愛姫(12歳)を正室に迎え、父・伊達輝宗と共に出… -
虎哉宗乙とは~伊達政宗を教え導いた臨済宗の僧~
虎哉宗乙(こさい-そういつ)は、享禄3年(1530年)に美濃国(岐阜県)で誕生しました。 虎哉(以下より虎哉と記述する)は姓を福地氏、幼名を虎千代と言い、後に博覧強記の名僧となる片鱗を伺わせるエピソードがあります。 … -
伊達政道(伊達小次郎) 独眼竜・伊達政宗と骨肉相食んだ実弟
伊達政道(だて-まさみち)は、伊達輝宗と義姫(保春院)の次男として生まれました。 長兄に伊達政宗、姉妹に千子姫ら2名(3名とも同母)、腹違いの兄弟として秀雄と言う男子が記録されています。 幼名を竺丸(じくまる)、… -
松平忠輝とは~家康に忌み嫌われた徳川家の異端児~
松平忠輝(まつだいら-ただてる)は、徳川家康と側室である茶阿局(さあのつぼね)の間に産まれた六男です。 天正20年(1592年)1月4日、江戸城で生まれた忠輝は、その生年が辰年であったため、幼名は辰千代(たつちよ)と名… -
伊達輝宗とは~伊達家の行くすえを政宗に託した名君
伊達輝宗の子育てや方針は、奥州を制覇する伊達政宗と言う非凡な武将を輩出しました。 そんな伊達輝宗の素晴らしき功績などに迫ってみたいと存じます。 伊達輝宗(だて-てるむね)は1544年9月に、桑折西山城・伊達晴宗の次男… -
阿古姫と佐竹親直~大坂の陣にて伊達家が匿った長宗我部家の娘
阿古姫(あこひめ)は、長宗我部元親の3娘です。 長宗我部氏の家臣で、上ノ加江城主である佐竹親直を重用した長宗我部元親は、三女の阿古姫を嫁がせました。 男子2人もうけていますが、この阿古姫と佐竹親直の生涯を調べてみ… -
後水尾天皇~徳川幕府との熾烈な闘争に勝ち抜く~
戦国時代は、大阪の陣によって終わりを遂げ、念願だった泰平の時代を迎えた。 思えば、徳川家康はあらゆる手段を総動員して秀頼や淀君、豊臣恩顧たちに圧迫を加え続け、ついには豊臣宗家を滅ぼすに至った。 しかし、執拗なまでの強… -
徳川家康は大坂夏の陣で後藤又兵衛に討ち取られた?南宗寺に残る伝承の謎
NHK2016年の大河ドラマ『真田丸』も、いよいよ佳境を迎え、真田幸村と徳川家康の一騎打ちも迫ってきた。そんなクライマックスの舞台に用意されている大阪夏の陣には、ちょっと信じがたいミステリアスな伝承が存在することをご存じ…