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北条早雲の解説【詳細版】戦国時代の幕開け~伊勢宗瑞の生涯
北条早雲(北條早雲)は、一介の素浪人から戦国大名になった下剋上の始まり、戦国時代の幕開けとなった人物とされてきたが、そもそも、何の実力も無い者が一国の主になる事は非常に困難である。 その後の研究では、北条早雲(北條早雲… -
廿里の戦い(とどりのたたかい)~小山田衆と滝山衆が高尾で行った合戦
廿里の戦い(とどりのたたかい)は、1569年10月1日に武田勢と北条勢が戦った合戦です。 廿里原古戦場としての場所は、だいたいJR高尾駅の甲州街道付近となります。 廿里古戦場、十十里原古戦場、十々里古戦場など色々な書… -
小山田記~ 現認・小山田氏400年の存亡【小山田氏関連の考察とまとめ】
小山田氏の祖である鎌倉武士・小山田有信から、戦国武将で武田信玄に臣従していた小山田信茂までの「小山田氏」を調べ始めて、かれこれ10年になります。 最後に武田勝頼を裏切ったイメージが強い小山田氏ですが、よく考えて見れ… -
志賀城主・笠原清繁夫人の墓【大月市・宝林寺】悲劇の女性と小山田出羽守信有
山梨県大月市の岩殿城山から東を流れる葛野川に沿う山の麓に、静かにたたずむ曹洞宗の宝林寺があります。 宝林寺は、難攻不落で知られる岩殿城の鬼門を守っているとされ、この地には戦国時代の武田信玄の元で活躍した、谷村城… -
小山田信茂の首塚と小山田左兵衛尉信茂顕彰の碑【初狩・瑞龍庵跡】
1582年3月、武田勝頼が自刃し武田家が滅亡した際に、小山田信茂は葛山信貞、ほかに武田信堯、小菅五郎兵衛などと共に、甲斐善光寺で切腹となります。 そして、小山田信茂の遺体は、甲斐善光寺の北に葬られました。 現… -
小沢原の戦い 北条氏康の初陣 勝坂と隠れ谷
小沢原の戦い(おざわはらのたたかい)は、戦国時代の合戦です。 1530年6月、河越城から軍を進め深大寺城に入ってきた扇谷上杉家・上杉朝興を迎え討つため、小田原城主・北条氏康が軍勢を率いて武蔵・小沢城に入りました。 そ… -
富春寺~小山田出羽守富春開祖の小山田氏菩提寺
山梨県都留市小形山にある桂林山富春寺は、郡内領主・小山田出羽守富春の開祖の寺です。 ちなみに、小山田出羽守信有の開基ではないみたいですと言うか、小山田氏は世代に渡って同じ名前を称したり、官位も同じだったりするの… -
三方ヶ原の戦い 一言坂の戦い 史跡の写真や地図・駐車場情報も
三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)は、1572年に武田信玄が3万の軍勢を動員した西上作戦として、青崩峠・兵越峠から遠江に侵攻し、中根正照が1200で守る二俣城を降伏させたあとに発生した徳川家康との合戦です。 本拠… -
小山田神明神社は小山田城(小山田館)の支城(砦)であった可能性も?
小山田神明神社は、鎌倉時代の1223年前後に、小山田義重(小山田次郎義重)の創建したとあります。 主祭神は天照大神ですので、伊勢神宮・内宮系の神社ですね。 ただし、創建当初から明治維新までは、現在の場所… -
小山田重義となぞの小山田義重を検証してみた【小山田神社】
鎌倉時代が始まろうとしていた1171年に、東京都町田市に小山田城(館)を構えた小山田有重(小山田別当有重)の次男が小山田重義(小山田重忠、小山田次郎)で、小野路城主となり、小山田家の後継者と目されていました。 源頼朝の…