小沢原の戦い 北条氏康の初陣 勝坂と隠れ谷

勝坂(新百合ヶ丘)

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小沢原の戦い(おざわはらのたたかい)は、戦国時代の合戦です。
1530年6月、河越城から軍を進め深大寺城に入ってきた扇谷上杉家・上杉朝興を迎え討つため、小田原城主・北条氏康が軍勢を率いて武蔵・小沢城に入りました。
そして、1530年6月12日、小沢原の戦いと言う訳ですが、主戦場は、小沢城の麓と言う説と、現在の新百合ヶ丘駅周辺とする説があります。
総合すると、どうも、初戦は小沢城の麓であったようで、その時、北条勢(北條勢)は敗れて小沢城に籠ります。
それを見た、上杉勢は、小田原城へ軍勢を向けて新百合ヶ丘方面まで進軍し、そこで夜営したようです。


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この時、16歳で初陣であった北条氏康は、清水吉政(志水小太郎)、中島隼人佐を引き連れて、夜営していた上杉勢を急襲するべく、武蔵・小沢城から撃って出て「夜襲」を掛けたと言います。
金程付近(神奈川県川崎市麻生区金程1丁目)で戦闘になったとされます。
勝利した北条氏康(北條氏康)は「勝った!勝った!」と喜びの声を発して、金程から細山へ通じる坂を駆け上がったとし、現在「勝坂」(麻生区千代ヶ丘5-9)と呼ばれています。

この「夜襲」は、1546年の河越城の戦い(河越夜戦)でも、生かされる訳ですねと言うより、扇谷上杉家はまたしても同じ戦法を受けて北条勢に負けたと言う事が言え、油断がありすぎだと思います。

新百合ヶ丘駅の南東には、北条の軍勢を隠したとされる「隠れ谷」もあり、現在、上麻生隠れ谷公園(上麻生3丁目23-4)があります。
また、現在の麻生川は、かつて陣川と呼ばれていたそうです。


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新百合ヶ丘駅入口の交差点付近は、矢が飛び交ったことから「矢崎」と呼ばれています。
なお、この辺りにはかつて万福寺という名の寺が存在しており、その伝承から現在でも町名は「万福寺」で、新百合ヶ丘駅の住所も万福寺となっています。
もしかしたら、上杉勢の本陣が万福寺に置かれたところを、北条氏康が夜襲したのかも知れませんね。

勝坂と隠れ谷公園の場所も念の為、地図表記しておきます。

勝坂

勝坂(川崎市)

勝坂の場所は、下記の地図ポイント地点となります。

隠れ谷公園

隠れ谷公園(新百合ヶ丘)

隠れ谷公園の場所は、新百合ヶ丘駅から近いです。
隠れ谷の場所は下記の地図ポイント地点です。
地図は縮尺を変えてご覧願います。

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