小山田信茂の首塚と小山田左兵衛尉信茂顕彰の碑【初狩・瑞龍庵跡】





1582年3月、武田勝頼が自刃し武田家が滅亡した際に、小山田信茂葛山信貞、ほかに武田信堯、小菅五郎兵衛などと共に、甲斐善光寺で切腹となります。

そして、小山田信茂の遺体は、甲斐善光寺の北に葬られました。
現在、その地も小山田信茂の首塚とされますが、私有地(民家の庭)にあります。
今回、ご紹介するのは、その善光寺近くの首塚ではなく、初狩にある首塚となります。



国道20号(甲州街道)を西へと進みますと、唐沢橋のところに突然「←首塚」の小さな看板が現れます。
その狭い道を中央本線の方へ登って行きますと、また「首塚」の小さな案内があります。

小山田信茂の首塚

その付近に車を止めるスペースがありましたので、そこからは徒歩で行きますが、中央本線のカード下の道を、山の方向へと歩いて行きます。

小山田信茂の首塚

そして、沢の橋を渡って行くと、旧瑞龍庵の境内へと入ります。

小山田信茂の首塚

瑞龍庵は、明治40年に鉄砲水が発生し流されてしまったそうで、それ以降、再建されておらず、平坦な土地だけが残されています。
境内に入って更に山の方角へと足を運ぶと、小山田信茂の首塚と小山田左兵衛尉信茂顕彰の碑に到着致します。

小山田信茂の首塚

中央本線のガードから、徒歩5分といったところでしょうか?
下記の地図ポイント地点の場所が、首塚がある場所となります。
地図は縮尺を変えてご覧ください。

小山田信茂の従者が首を持ち帰り、詳雲山瑞龍庵(随龍庵)の住職が、ここに葬ったとされます。
甲斐国誌古蹟部では「小山田古蹟」として紹介されていますが、現在は僅かに湘南塔の一古塔礎を残すだけとなっていました。

場所はわかりにくいので、上記の地図を良くご覧の上、訪問願います。
夏場は虫除けなど対策が必要だと思います。

小山田信茂の首塚

なお、小生が車を止めさせて頂いたスペース(上記写真)の場所も下記に地図にて残しておきます。
どうぞ、お気をつけてお出かけください。

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高田哲哉日本の歴史研究家

投稿者プロフィール

(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査・研究している歴史人物研究家です。
自慢できるものはありませんが、資格は史跡訪問のための国内旅行地理検定2級、水軍研究のための小型船舶操縦士1級など。

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