岩殿城山~小山田信茂の難攻不落の山城






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武田信虎武田信玄武田勝頼に従属していた小山田有信・小山田信茂が築城したと考えられている山梨県大月市の「岩殿城山」
写真の通り、南面は礫岩が露出している東国では岩櫃城と並ぶ堅城で、標高634mは東京スカイツリーと同じ高さです。
大月駅からでも徒歩圏内ですが、国道139号の桂川の高月橋を渡ってすぐ左折すると、10台くらい止められる無料駐車場(夜間も常時開放)があります。
いつもの山城装備にてイザ城攻めです。

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駐車場から国道139号の歩道を約200m?歩くと登山口がありました。比高はなんと250mもあります。(^_^;)
※各写真はクリックすると拡大します。

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ルート的には上記のとおりですが、低山登山ブームもあり、山ガールともすれ違う人気の岩殿山です。
そのため、いかにも城探訪と言う格好ではなく、登山装備にて登って良かったです。

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むき出しの岩肌を真下から撮影した写真です。当然、この岩壁を登ろうとすれば「命知らず」の称号が与えられるでしょう。

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駐車場から10分ほど坂道を上ると「岩殿山ふれあい館」がある「丸山公園」に出ました。
トイレはここが最後となりますので、寄っておきましょう。

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遺構との関連性は不明ですが展望台のようなものは「丸山」です。標高444.4m。

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岩殿城の城郭はこんな感じになっています。

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登山道の整備状況はかなり良いですので、歩きやすく、岩殿山までならスニーカーでも行けます。
ただ、このような「階段」は、自分の歩幅で登れないので、疲れるんですよね。
稚児落とし方面はアップダウンもきつく、クサリを掴んで通行する箇所も2箇所あり「登山」となりますので、それなりの装備と覚悟が必要となりますが、私の目的は「城」の為、今回、稚児落とし方面には行きません。

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中腹より上はこのような大きな岩をもあり、岩の間をぬうように登り坂が続きます。
しかし、かなりの急坂で約80%が階段ですので、日頃、不摂生な小生には、かなりキツイ山城です。
戦国時代には10kg以上ある甲冑や、重い鉄砲を持ち、しかも「草履」で登った訳でして、私が一兵卒でしたら、このような山城攻めはゴメンです。

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真下から上を撮影。岩壁はほぼ垂直です。忍者でも登るのは無理でしょう。

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上記は筑坂峠・稚児落とし方面と、岩殿山の山頂方面に分岐する地点です。
岩殿山城へは更に階段を上って行きますが、もうちょっとです。

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上記は「揚城戸跡」で岩殿城で一番の見どころです。
揚城戸(揚木戸)とは扉が上下することで開け閉めして通行できるタイプの門で、この大きな岩の間に築かれていたようです。岩殿山城では第2の関門とも呼ばれています。
ここまで来ると、岩殿城山頂の稜線(郭)はもうすぐです。

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先ほどの揚城戸跡のすぐ先にある曲輪には「番所跡」と呼ばれ、雨露をしのげる小屋があった模様で、すぐ上は山頂の稜線となる郭部分となります。

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上記は西の見張り台(西物見台)の曲輪です。

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上記は馬屋跡。広々とした場所ですが、本当にここまで馬を上げたのでしょうか?疑問が残ります。

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開けた展望台になっている南物見台から大月市街地を望む風景です。晴れていれば世界遺産「富士山」を望み、テーブル席もありますので、お弁当も広げられるのが岩殿城です。
6月の梅雨時でしたので、天候があまり良くなくすいません。
市街地の手前側は桂川(相模川)の渓谷となっており、天然の堀+この岩肌ですので、南側から岩殿山城を攻めるのは不可能に近いです。

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山頂の尾根で最も開けた場所で、駐屯地となっていた模様です。
そのちょっと下には下記の「池」があります。

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亀が池と馬冷やし池の写真です。籠城する際の貴重な水源ですね。

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馬場から進むと「蔵屋敷跡」がありますが、急峻な山の上ですので、そんなに広い場所ではありません。
この辺りに、三の丸・二の丸とあるようなのですが、わからずじまい・・。

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岩殿山の山頂・本丸です。現在は通信アンテナが立っていますが、昔も「烽火台」として同じように通信中継地点の役割を持っていたようです。
本丸より東側には堀切が2個あるようです。

以上、岩殿城の麓にある無料駐車場から本丸まで片道1.2kmで、往復約90分の所要時間・行程でした。

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岩殿山城を攻めるなら、裏側(北側)からかな?と思い、畑倉地区にまわって岩殿山城を撮影してみました。
いずれにせよ、急峻でして、私が兵士ならモチベーション上がりません。

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上記は「円通寺」方面から見た岩殿山城の予想絵図です。
この円通寺側からは、岩殿上バス停付近から登山道もありまして、戦国時代の岩殿山主要登山路だったようです。その登山道が上記写真の通りです。
円通寺は、806年開創と伝わる天台宗の寺院で、岩殿山の南東麓に観音堂や三重塔、新宮などの伽藍が配され「岩殿権現」「七社権現(明神)」と呼ばれ、13世紀には天台系聖護院末の修験道の場として繁栄していました。



このように「岩殿山城」は、東西に長い大きな岩山をそのまま城にしています。
その為、全方面が急峻で、南面は西から東までほとんどが絶壁で、北面も急傾斜です。
唯一、東西から接近できそうなのですが、それでも厳しく狭い通路を通らなければならず、難攻不落の五つ星と言ったところでしょう。
麓の集落には武家館が点在していたと考えて良いですが、小山田氏の本拠地は都留市なので、この岩殿山城は甲州街道の抑え、及び小山田氏の決戦用の山城と言って良いでしょう。
あわせて「小山田信繁」の記事もご参考頂けますと幸いです。

なお、武田勝頼は滅亡する1年前の1581年1月に新府城を築城開始しましたが、同年3月20日に岩殿山城に武田の兵を入れて、岩殿山城をより強固な城へと改修開始しています。
これを考えると、織田勢が攻めてくると岩殿城は武田勝頼に譲られたとも考えられます。

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上記は南物見台の展望台にある、乃木希典将軍の碑です。なんでも、山城研究の為、明治12年に乃木将軍が登ったそうで「(岩殿山は)兎も登れない岩山である。」と溜息を洩らしながら語ったとの逸話があります。

■岩殿山城攻略の注意

山頂の稜線まで、ほぼ全行程が「急坂」の山城です。
途中、ジュースの販売が無いため、麓で飲料水を調達してから登る事をお勧めします。

行き方・アクセスは下記地図をご参照願います。大月駅からでも歩いて15分くらいです。
下記のポイント地点は無料駐車場(5台)のある場所です。

災害情報

2017年8月の台風5号では、大月市の各所にて災害が発生しました。
上記でご紹介した高月橋を渡ったところにある駐車場も、岩殿山の斜面が崩れて、橋じたいが通行止にもなりました。

2018年3月現在ですと、道路は復旧していますが、ふれあいの館へ水を送るポンプ小屋が土砂に埋まっておりトイレが使用できません。
また、岩殿山の駐車場横が復旧していません。
と言うよりは更に土砂崩落の危険があるため、当面、駐車場の利用が難しいようです。
駐車場は、大月駅近隣の有料駐車場をご利用ください。

このように、駐車場がいつ復旧するかどうかは、わかりませんので、最新情報の入手に努めて頂けますと幸いです。
被害に遭われました皆様には、謹んでお見舞いを申し上げます。

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高田哲哉日本の歴史研究家

投稿者プロフィール

(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査・研究している歴史人物研究家です。
自慢できるものはありませんが、資格は史跡訪問のための国内旅行地理検定2級、水軍研究のための小型船舶操縦士1級など。

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