タグ:徳川家康
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若き頃の徳川家康を苦しめた戦「三方ヶ原の戦い」と夏目吉信・・・。
この戦いで家康は武田信玄に完膚なきまで攻められ、死を覚悟したほどと言われています。
それでも家康は家臣たちが命を懸けてまで逃がしてくれたおかげで、撤退…
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人吉の戦国武将である相良頼房、深水宗方、犬童頼兄を中心にご紹介します。
相良頼房(さがら-よりふさ)は、人吉城主・相良義陽の次男として1574年5月4日に生まれました。幼名は長寿丸。
母は豊永長英の娘・了信尼です。…
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大友義統(おおともよしむね)は、豊後の戦国大名である第21代当主・大友義鎮(のちの大友宗麟)の長男として1558年に生まれた。
母は、奈多夫人(奈多鑑基の娘)。
幼名は長寿丸。号は宗厳。将軍・足利義昭の偏諱を受け義統…
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仙石秀久(せんごく-ひでひさ)は、斎藤道三に仕えている美濃の土豪・仙石久盛(仙石治兵衛久盛)の4男として、1552年1月26日に加茂郡黒岩(加茂郡坂祝町)にて生まれた。
母は不詳。
仙石秀久は4男であったため、他…
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戦国時代の1569年、三増峠の戦いにて討死したとされる、北条家の家臣・間宮善十郎の墓と伝えられる塚が、合戦跡にあり、その場所からは1998年に渡来銭や大腿部に傷がある壮年男性の遺骨も発掘されています。
かなりマイナーな…
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豊臣秀頼(とよとみ-ひでより)は、1593年8月3日、大阪城にて誕生した。
父は、太閤・豊臣秀吉(57歳)で、母は、側室・淀殿(茶々)。
幼名は「拾」。1591年に僅か3歳で亡くなった兄・鶴松には「棄(すて)」と…
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結城秀康(ゆうき-ひでやす)は、徳川家康の次男として浜松の有富見村にある中村正吉の屋敷にて1574年2月8日に生まれました。
幼名は於義丸(おぎまる)で、母は永見吉英の娘・於万の方(長勝院)です。
於万の方は、徳川家…
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細川忠興(ほそかわ-ただおき)は、戦国時代の1563年11月13日に京都で誕生。
父は、室町幕府13代将軍・足利義輝に仕える細川藤孝(細川幽斎)で、長男として生まれた。
母は、正室・沼田麝香(ぬまたじゃこう、若狭熊川…
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「戦国最強は誰か」戦国時代好きが四人、五人と集まれば、必ずと言っても良いほどこの話題が持ち上がるのではないだろうか。
数多いる強者の中で、著者には強く推したい人物が一人居る。
徳川家康に仕え、生涯57回戦場に赴き、か…
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増田長盛とは
増田長盛(ましたながもり)は、尾張国中島郡増田村(現在の愛知県稲沢市増田町)、または近江国浅井郡益田郷(現在の滋賀県長浜市益田町)出身とされる。
しかし、父母の名や若い頃の経歴は不明で、一向宗徒…
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父は小谷城主・…
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吉岡妙林尼(よしおか-みょうりんに)の生い立ちは良くわかっていませんが、父は林左京亮、又は丹生正敏(…
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大蔵卿局・大蔵局(おおくらのつぼね)は浅井長政の家臣だっとされる大野定長の妻で、茶々の乳母であったと…
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慶誾尼(けいぎんに)は、慶ぎん尼とも書きますが、1509年に生まれた村中龍造寺家の当主・龍造寺胤和(…
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瀬名(せな)とも言う築山殿(つきやまどの)は、今川家一族の駿河持船城主・関口親永(関口刑部少輔)(ま…
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