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タグ:徳川家康
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亀姫の解説 徳川家康の長女【加納御前】
亀姫(かめひめ)は、戦国時代の1560年6月4日、徳川家康の長女として、駿府にて誕生した。 母は築山御前(築山殿、瀬名姫)で、兄に松平信康がいるが、生まれた時から今川家の人質状態であった。 1562年、人質交換により… -
長篠の戦い(設楽原の戦い)の解説と考察 戦跡・史跡・場所・写真・地図
長篠城を包囲した武田勝頼に対して、徳川家康・織田信長が38000の援軍を派遣すると、武田勝頼が12000にて決戦を挑んだ長篠の戦い(設楽原の戦い)。 1575年5月、武田勝頼は、上杉景勝の抑えとして海津城の高坂昌信… -
千姫とは~徳川家の娘として波乱の人生を歩んだ戦国時代最後のヒロイン
千姫(せんひめ)は、徳川秀忠とお江の長女として、1597年4月11日に伏見城内の徳川屋敷で産まれた。 父は徳川家康の跡継ぎで、のち第2代徳川幕府将軍になっている。 母・お江は、織田信長の妹・お市の方の娘で、柴… -
本多正純 吏僚としての才能を発揮し徳川幕府の為に尽くすも
本多正純(ほんだ-まさずみ)は、本多正信の嫡男として1565年に生まれた。初名は弥八郎。 母は正室の毒林尼。 本多正純が生まれたころは、三河一向一揆で松平家の家臣も一揆に加担するものがいたが、父・本多正信も当時は一揆… -
橋本庄三郎(後藤庄三郎) 江戸時代の小判を最初に作った男
橋本庄三郎(はしもと-しょうざぶろう)は、のちに後藤庄三郎(ごとう-しょうざぶろう)と改名する、江戸時代初期における金細工の名門・後藤家の当主となります。 代々「後藤庄三郎」と称しますが、ここでは初代とされる後藤庄三郎… -
大久保藤五郎(大久保主水)と伊可 江戸の街に水道をひいた菓子司
大久保藤五郎(おおくぼ-とうごろう)は、正式な名前を大久保忠行(ただゆき)、通称を大久保主水(もんと)と言う戦国時代末期の武将です。 父は宇津忠茂で、大久保藤五郎は5男として生まれました。 兄に徳川家康が若いころから… -
伏見城「豊臣時代」と「徳川時代」数奇な運命を辿った城
数奇な運命を辿った城、伏見城。 その伏見城があったとされるのが、安土桃山時代という名称のもとになったとされる場所、桃山です。 伏見城の歴史を大きく分けると「豊臣秀吉公時代」「徳川家康公時代」の2つに分けることができま… -
堀秀治 父のように優秀ではなかったが家臣に恵まれた大名(堀直政も)
堀秀治(ほり-ひではる)は、堀秀政の嫡男として1576年に生まれました。 母は喜多島良滋の娘となります。 父・堀秀政は「名人・久太郎」と呼ばれた文武両道の武将で、織田信長の小姓・側近を努め、羽柴秀吉の軍監も担って… -
森忠政 兄5人全員討死するも戦国を生き抜いた末っ子大名
森忠政(もり-ただまさ)は、織田信長に仕えていた家臣で美濃・金山城主である森可成(もり-なりよし)の6男として1570年に生まました。 幼名は仙千代(千丸)で、母は林通安の娘・えい(妙向禅尼)となりまなす。 兄に… -
水野勝成 出奔すること8回の戦国自由人から一転して名君へ
実に主君(仕官先)は8名に渡り最後には名君と慕われた猛将で戦国自由人・水野勝成(みずの-かつなり)は、1564年8月15日、鷲塚城主・水野忠重の長男として生まれました。 幼名は国松で、母は諸説ありますが、本願寺光佐の妹…