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毛利元氏 (繁沢元氏)の解説 浜田城を改修した阿川毛利家の租
毛利元氏(もうり もとうじ)は、戦国時代の武将で、1556年、吉川元春の次男として生まれました。 母は、熊谷信直の娘である新庄局で、兄に吉川元長、弟に吉川広家がいます。 1568年に元服すると、毛利元就より「元」の字… -
大友宗麟(大友義鎮)の解説 国崩し・豊後の王
大友宗麟は、豊後国(大分県)の府内にて、1530年1月3日に誕生。 父は豊後大友家第20代当主・大友義鑑。母は大内義興の娘。 幼名は塩法師丸。別号に宗滴、三非斎など。 傅役は重臣・入田親誠(津賀牟礼城城主)だが、の… -
毛利隆元の解説 人物像やネガティブな性格と真の評価は?
毛利隆元(もうり-たかもと)は、戦国時代における中国地方の覇者・毛利元就の嫡男です。 しかしながら、元就の息子と言うと吉川元春と小早川隆景が有名ですし、毛利元就亡き後の毛利家当主と言えば、毛利輝元を思い浮かべる方も多い… -
児玉就英とは 毛利水軍を率いた智将
児玉就英(こだま-なりひで)は、戦国時代の1554年に安芸・草津城主である児玉就方の子として生まれました。 父である児玉就方(こだま-なりかた)は、武勇ある武将で、毛利元就の家臣に加わると、1551年から安芸・草津城主… -
毛利元就 謀神ならぬ優秀な経済戦略家
明治~大正期かけて活躍した土佐国(高知県)出身の詩人・随筆家の大町桂月(1869年~1925年)が著した『伯爵後藤象二郎』(1914年 富山房)という伝記がございます。 後藤象二郎(1838年~1897年)は周知の… -
相合元綱 今義経と謳われた毛利元就の異母弟
謀神と称された毛利元就には武勇に優れた弟がいました。 名前は相合元綱(あいおう-もとつな)といい、「今義経」の異名を持っていました。 源平合戦で名を馳せた源義経と並び立つ存在であるにも関わらず、あまり目が向けていられ… -
厳島の戦い 戦国時代の三大奇襲戦 宮島の宮尾城 安芸・勝山城
宮尾城(みやおじょう)は、厳島神社で有名な宮島にある平山城で、別名は宮ノ尾城、宮尾ノ城、宮ノ城とも呼びます。 毛利元就が大勝利をおさめた「厳島の戦い」にて、毛利勢が入った最前線の城が宮尾城でした。 [adrota… -
宍戸隆家 毛利家を大きく支えた重臣筆頭
宍戸隆家(ししど-たかいえ)は、安芸・五龍城主である宍戸元家(宍戸弥三郎元家)の子として戦国時代の1518年に生まれました。 母は山内直通の娘となります。 安芸・毛利家も、もとは大江広元が先祖で、相模の毛利荘から… -
謎が多い庄元祐~穂井田元祐・荘元祐の運命
荘元祐(しょう-もとすけ)は、庄元祐とも書きますが、穂井田元祐とも言います。 生年は不明で母の名前もわかりませんが、父は備中をほぼ統一した三村家親となり、長男として生まれました。 庄氏(荘氏)は、もともと武蔵七頭… -
三村元親とは~備中兵乱にて毛利家に屈する
三村元親(みむら-もとちか)は、備中・松山城(大松山城)主である三村家親(みむら-いえちか)の2男として生まれました。 生年は不詳で、母は阿波三好氏の女性とされ、三好之長の娘、三好元長の娘など諸説あります。 兄に荘元…