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タグ:相模
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鎌倉の報国寺と永享の乱・足利義久【竹林で癒されるパワースポット】
鎌倉の報国寺(ほうこくじ)は、1334年、天岸慧広の開山による臨済宗建長寺派の寺院です。 開基は足利尊氏の祖父・足利家時、または上杉重兼とする2説があります。 報国寺は鎌倉随一の美しい竹林で有名です。 … -
大江広元邸跡と大江広元の墓(胡桃山)・明王院・梶原井戸【鎌倉】
鎌倉の大江広元の屋敷(大江広元邸)は、胡桃山の麓となる明石橋の交差点から川沿いに東へ30mほど入ったところにあったようで、現在は大江広元屋敷跡の石碑があります。 幕末に長州藩が、この付近の土地を買収しようとしましたが、… -
太田道灌の解説 忠義を貫いた名将 太田道灌の首塚も
太田道灌とは 1432年に生まれた太田道灌(おおた-どうかん)は父・太田資房が相模守護代を務めていた為、相模で生まれたとも、父・太田資房の館があったと考えられる埼玉県入間郡越生町で生まれたともされますが、誕生地・出… -
深見神社(神奈川県大和市)1500年の歴史を誇る信仰
神奈川県にある古い神社の1つである、大和・深見神社(ふかみじんじゃ)をご紹介致します。 深見神社の縁起によると下記の通りになっています。 東国の平定を目的とする武甕槌神(タケミカヅチ)が、舟師を率いて常陸鹿島… -
明月院~北条時頼の墓と上杉憲方の墓【鎌倉・あじさい寺】
北鎌倉の明月院(めいげついん)は「あじさい寺」として有名ですが、史跡としての歴史も申し分なく、武将関連の見どころもたくさんあります。 1160年、平治の乱にて討死した首藤俊通(首藤刑部太夫)の菩提を弔う為、子の山ノ… -
毛利季光とは【戦国大名・毛利家の祖】すなわち長州藩主の祖
戦国大名・毛利元就や、上杉謙信の家臣でNo3の座にいた北条高広の先祖である毛利家の祖「毛利季光(もり-すえみつ)」をご紹介したい。 毛利季光は鎌倉武士であるが、父は鎌倉幕府で政所初代別当を務めたあの大江広元で、その4男… -
早雲寺~北条5代の墓がある北条家菩提寺【箱根湯本】
箱根湯本にはかれこれ50回は訪れたことがありますが、今まで「早雲寺」に行ったことはありませんでした。 そのため、梅雨の晴れ間を突いた、早雲寺のレポートを掲載させて頂きたく存じます。 早雲寺は、1521… -
大磯城(小磯城)と越後五郎四郎~相模国の歴史ある城「大磯城山公園戦国時代絵巻」も
現在、東海道である国道1号線を見下ろすような形となっている大磯城(小磯城)では、縄文土器が発掘されたり、古墳時代の横穴墓が山肌に見受けられます。 小田原から鎌倉へ往来する場合に、必ず通行する東海道の要所の抑… -
東慶寺(北鎌倉)を戦国時代の歴史の角度から見る~成田家の甲斐姫の墓も
円覚寺に寄ったついでに、すぐ近くにある「東慶寺」を参拝して参りました。 目的は、成田家の姫であり、豊臣秀吉の側室になっていた甲斐姫(忍城城主・成田氏長の長女)の墓のお参りです。 鎌倉の東慶寺を戦国時代の歴史の視点… -
北条氏政の墓・北条氏照の墓~訪問レポート
小田原城は、戦国時代の関東の覇者である北条氏が本拠とした堅固な城でした。 現在の小田原城天守閣は、8000万円掛けて復元したコンクリート製の模擬天守で、昔の姿を復元したものではありません。当然ながら、江戸時代に建てられ…