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榊原康政の解説 武勇と知勇を馳せた徳川家の重臣
榊原康政(さかきばらやすまさ)は1548年に三河国上野郷(現在の愛知県豊田市上郷町)にて誕生。通称は榊原小平太。 父は榊原長政で、松平家の譜代家臣・酒井忠尚に仕える陪臣であり、その次男である。幼名は於亀(亀丸とも?) … -
下曽根信照・下曽根信正・下曽根信由と下曽根氏の墓がある信照寺と下曾根浄喜
磯部・信照寺(しんしょうじ)は下曽根信正(下曽根三右衛門信正)が1599年に創建した真言宗豊山派の寺院で、ご本尊は阿弥陀如来です。 その信照寺と、下曽根氏の関係を調べてみました。 信照寺は、下曽根信正が父・下曽根信照… -
喜平次の城~上州・子王山城址(群馬県藤岡市)
▼小田原北条氏によって上野を追われた関東管領山内上杉憲政を庇護した越後の長尾景虎(上杉謙信)が、天文21年(1552)に北条氏から一旦、憲政の居城平井城を奪還した際、養子の喜平次(のちの上杉景勝)を布陣させたと伝わる。 … -
新田義貞とは 鎌倉を落とした男【新田義貞挙兵の地・生品神社】
鎌倉を落とした男である新田義貞が挙兵した地。 反町館跡(そりまちやかた・群馬県太田市新田反町町)と、生品神社(いくしなじんじゃ・太田市新田市野井町)を訪ねました。 ▼新田義貞は群馬県で一番著名な武将なのですが… -
大道寺政繁とは~松井田町新堀・補陀寺にある大道寺政繁の墓
大道寺政繁(だいどうじ-まさしげ)は、河越城主・大道寺重興の子として、1533年に生まれたとされる。 大道寺家は北条家臣の中でも「御由緒家」と称される重臣で、大道寺政繁も河越城主として治水・金融・城下町育成など内政… -
碓氷城~迎え撃つ北条勢最前線「愛宕山城城址探索記」
小田原城主・北条家にとって碓氷城(うすいじょう)は、碓氷峠を越えて関東に進入する敵に対処する為の、関東防衛における最前線の城の1つ。 ▼真田信繁(真田幸村)の初陣については、通説はこれまで豊臣秀吉の「小田原攻め」(… -
新田義貞誕生の地伝説と「南総里見八犬伝」の一族の里見城
▼源義家(源八幡太郎義家)の三男・源義国の息子は、それぞれ領地をもらって、新田と足利に別れている。 長子・源義重(新田義重)は、現在の高崎市西部から安中市板鼻あたりを領地とした。 同時期に新田郡(太田市)を開墾して新…