喜平次の城~上州・子王山城址(群馬県藤岡市)



▼小田原北条氏によって上野を追われた関東管領山内上杉憲政を庇護した越後の長尾景虎上杉謙信)が、天文21年(1552)に北条氏から一旦、憲政の居城平井城を奪還した際、養子の喜平次(のちの上杉景勝)を布陣させたと伝わる。
このことから別名を「喜平次の城」ともいわれる。
「関八州古戦録」などを元にしているが、詳細は分からない。

喜平次の城はなんと、標高は550m、比高300mとたいへん強烈な高さの山城で、階段の数は2000階段とある。

子王山城の階段

駐車場は下記の地図ポイント地点となる。

なお、地図は縮尺を変えてご覧願いたい。



公方について

鎌倉公方が室町幕府の関東出先政府だった訳ですね。
その代理職務者の管領が上杉氏。内紛で4家に分かれ、鎌倉での居住地で、山内だの扇谷だのの冠をつけて呼んでいます。

新興の小田原北条氏に支配地を追われ、公方は古河に、扇谷は河越、山内は上州平井(藤岡市)に居を移します。
河越が北条に落とされたため、8万ともいわれる三者連合で河越城を包囲するのですが、今川とにらみ合っていた北条氏康は、和睦し、8千の精鋭を関東に急行させます。
大軍を頼んで油断していた上杉連合軍を「河越夜戦」の奇襲で打ち破り、扇谷の当主を討ち取ります。

平井で頑張っていた山内上杉憲政も、武田信玄に攻められた信州志賀城救援に送った大軍が、武田軍に壊滅させられます。
北条に抵抗できなくなった憲政は、越後上杉の守護代で力をつけてきた長尾景虎を頼って越後へ落ち延びます。


関東回復を頼られた長尾景虎は、信玄を牽制しつつ、泥沼の関東遠征を繰り返すのです。
何度失地回復をしても、降雪時期に越後へ引き上げると、また北条が関東を取り戻すという図式です。

嫡男を北条に討たれている上杉憲政もやがて、長尾景虎を養子にして悲願達成ののぞみを抱くようになり、朝廷に奏請して、関東管領職と上杉の名跡を譲り、長尾景虎はここから上杉政虎と名を変えます。

川中島の戦い4回戦の直前、長尾景虎(上杉政虎)は長躯、小田原を11万の大軍で包囲しますが、落とせず、信州方面の武田に牽制されて越後へ帰る決意をしますが、このときに、鎌倉鶴ヶ丘八幡宮で管領就任式と上杉家相続をして、関東介入の大義を得たわけです。

(寄稿)柳生聡

関東の役職である鎌倉公方・関東管領・古河公方などを解説【古河御所訪問記も】
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