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カテゴリー:麒麟がくる
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平手政秀 命をかけて役目を全うした織田信長の傅役
平手政秀(ひらて-まさひで)は、平手経英(平手経秀)の子として、1492年5月10日、尾張国で生まれた。母は不詳。 平手政秀は志賀城主として、織田信秀に仕え、重臣として主に外交面で活躍した。 茶道や和歌などにも通… -
斎藤義龍 斎藤道三の嫡男として斎藤家を率いるも・・
斎藤義龍(さいとう-よしたつ)は1527年7月8日に生まれた。 父は斎藤道三で、その嫡男として誕生。 母は、斎藤道三の側室・深芳野(みよしの)。 斎藤義龍の初名は斎藤利尚、斎藤高政(さいとう-たかまさ)。 斎… -
松永久秀 乱世の梟雄・稀代の謀略家 初めて爆死した日本人?
松永久秀(まつなが-ひでひさ)は1510年生まれとされるが、生い立ちについては不明な点が多く、阿波国・山城国西岡(現在の西京区)・摂津国五百住の土豪出身など諸説がある。 近年の研究では石清水八幡宮付近(現京都府八幡市)… -
明智秀満 (明智左馬助) 本能寺の変を明智光秀が最初に相談した重臣
まずは明智秀満(あけち-ひでみつ)の「出自」からご案内したい。 出自は諸説ある。 明智秀満は当初、三宅弥平次と名乗っていた。その為、出自は三宅氏とする説がある。 明智光秀の家臣として三宅氏は複数の存在が確認できる。… -
吉田兼和 (吉田兼見)~武家と公家の橋渡し役で活躍
吉田兼和(吉田兼見)は、1535年、神祇大副兼右兵衛督・吉田兼右の子として誕生。 京都の吉田神社の神主を代々務める吉田神道の家柄で、朝廷とも親交があった。また、細川藤孝(細川幽斎)の従兄弟(いとこ)にあたる。 157… -
斎藤利三 明智光秀の重臣として明智家を支えた勇将
斎藤利三(さいとう-としみつ)は、1534年(1537年?)、美濃の白樫城主・斎藤利賢(斎藤伊豆守)の次男として生まれた。母は蜷川親順(斎藤親順の娘)の娘?。明智光秀の妹・明智光秀の叔母(明智光継の娘)とも? この斎藤… -
明智倫 (明智倫子、お倫)/明智きし~明智光秀の長女
明智倫(明智倫子)は明智光秀の三男四女の長女であるが、本当に「お倫」と言う名であったかは不明。 大河ドラマ「軍師官兵衛」では、女優・石橋杏奈さんが演じた「明智倫」としてここではご紹介したいが、2020年の大河ドラマ「麒… -
細川幽斎(細川藤孝)の解説 断固たる態度を取った戦国大名
細川藤孝(細川幽斎)は、1534年4月22日、三淵晴員の次男として京都東山にて誕生した。 この父・三淵晴員は、和泉守護である細川元有の子で、足利将軍側近の三淵晴恒の養子となっていた。 細川藤孝(細川幽斎)の生母は、三… -
織田信行(織田信勝) 信長の弟の数奇な運命
織田信行(織田信勝)は、織田信長の弟と説明すると一番分かりやすいだろう。 1536年に、織田信秀の3男として、母・土田御前との間に生まれたとされるが、生まれた年も含めて不確定要素が多い。 名は織田信行・織田信勝(おだ… -
土田御前(どたごぜん)とは~信長の母
土田御前(どたごぜん)を一番分かりやすくご説明すると、織田信長の母親と言えよう。 土田御前は織田信長の父・織田信秀の継室であるが、実名は不明。一説には土田政久(土田治郎左衛門秀久)の娘とも。 織田信長を生ん…