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タグ:江戸時代
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明正天皇 七人目の女帝と取り巻く朝幕間の対立事件を解説
明正天皇(めいしょうてんのう)(幼名は女一宮)は、江戸時代前期の元和9年(1624年)11月19日に後水尾天皇(ごみずのおてんのう)の第二皇女として生まれた、百九代天皇である。 母は徳川和子で、二代将軍・徳川秀忠の五女… -
池田光政「仁政」の心を忘れなかった生まれながらの藩主
池田光政(いけだ-みつまさ)は、慶長14年(1609年)4月4日に池田利隆の子として備前・岡山に生まれた、江戸時代前期の岡山藩・初代藩主である。 光政は関ヶ原の戦いの後に生まれ、戦国が終わり安定した時代で藩主になった、… -
徳川義直とは 初代の尾張藩主・名古屋城主
徳川義直(とくがわ-よしなお)は、江戸時代の武将で、尾張藩の初代藩主です。 父は、徳川家康で9男として1601年に大坂城にて生まれました。幼名は五郎太丸です 母は、側室である京都正法寺・志水宗清の娘・お亀の方(相応院… -
松平信綱 知恵伊豆と呼ばれた老中
松平信綱(まつだいら-のぶつな)は、、江戸時代の武蔵・忍藩主、川越藩主を務めた大名で、江戸幕府においては老中首座となりました。 父は、徳川家の家臣である大河内久綱(おおこうち-ひさつな)で、母は北条氏房の家臣である深井… -
加藤忠広とは 薄幸の時代に生を受けた加藤清正の嫡男
加藤忠広(かとう-ただひろ、加藤忠廣とも)は、慶長6年(1601年)に肥後熊本藩主・加藤清正と玉目氏出身の側室である正応院の間に三男として生まれました。 ただし『丸岡城ものがたり』加藤忠廣略年表によると慶長5年(160… -
新井白石 閑院宮家創設に尽力するなど 今だから知っておきたい白石の「正徳の治」を解説
新井白石(あらい-はくせき)は、明歴3年(1657年)2月10日に新井正済の子として江戸に生まれた、江戸時代中期の政治家・朱子学者である。 学者としての才能を見いだされ、無役でありながら幕政を担うまでに昇り詰めたために… -
山鹿素行 江戸時代の武士道「山鹿流」を確立した儒学者 赤穂浪士との関係は?
山鹿素行(やまが-そこう)は、元和8年8月16日(1622年)に浪人・山鹿貞以の子として陸奥の会津に生まれた、江戸時代前期の軍学者・儒学者である。 戦国時代からの武士の存在意義が崩れ始め、それを模索する社会の中で、素行… -
品川の歴史と成り立ち 通り過ぎてはいけない街・坂本竜馬や高杉晋作奔走の地
品川の成り立ち 品川は、中世から品川湊が物流の拠点を担い、物流が経済活動を支え、発展した歴史があった。 徳川家康は、慶長6年(1601年)八ッ山から鈴ヶ森にかけてを整備し、品川宿の設置にあたった。 江戸時代には… -
橋本庄三郎(後藤庄三郎) 江戸時代の小判を最初に作った男
橋本庄三郎(はしもと-しょうざぶろう)は、のちに後藤庄三郎(ごとう-しょうざぶろう)と改名する、江戸時代初期における金細工の名門・後藤家の当主となります。 代々「後藤庄三郎」と称しますが、ここでは初代とされる後藤庄三郎… -
大久保藤五郎(大久保主水)と伊可 江戸の街に水道をひいた菓子司
大久保藤五郎(おおくぼ-とうごろう)は、正式な名前を大久保忠行(ただゆき)、通称を大久保主水(もんと)と言う戦国時代末期の武将です。 父は宇津忠茂で、大久保藤五郎は5男として生まれました。 兄に徳川家康が若いころから…