徳川義直とは 初代の尾張藩主・名古屋城主

徳川義直




徳川義直(とくがわ-よしなお)は、江戸時代の武将で、尾張藩の初代藩主です。
父は、徳川家康で9男として1601年に大坂城にて生まれました。幼名は五郎太丸です
母は、側室である京都正法寺・志水宗清の娘・お亀の方(相応院)となります。

1603年、僅か2歳で甲府城主となって甲府藩25万石になりましたが、当然、政務はできず家老の平岩親吉が代行しました。
徳川義直(五郎太丸)は、生母お亀の方と駿府城にて過ごしたようで、佐枝種長らが側近となっています。


1606年に早くも元服すると、1607年には死去した兄・松平忠吉の遺領を継ぐ形で、尾張・清洲藩主になりました。
そして、名古屋城を天下普請にて築城し、本拠を清洲城から移し(清洲越し)、平岩親吉は10万石で犬山城に入り補佐しています。
こうして、徳川義直は、47万2344石にて、徳川御三家のひとつ尾張・徳川家の祖となっています。

1614年、大坂冬の陣で初陣を飾り、大坂夏の陣では後詰として天王寺・岡山の戦いに参じています。

徳川義直自身は、徳川家康が死去したのち、お亀の方(相応院)と共に、1616年に名古屋城へ入りました。
名古屋では新田開発、城下町の整備、河川の管理なども行いました。
また、尾張藩御附家老・成瀬隼人正の推挙により、柳生宗厳(柳生石舟斎)の長男・柳生厳勝(柳生兵庫助)を500石にて迎えると、剣術・槍術・長刀術の指南を受けています。


正室は1615年に結婚した浅野幸長の娘・春姫でして、春姫の嫁入り・輿入れが、名古屋の豪華な結婚式のルーツとされています。
しかし、2人の間には、子は産まれず、江戸幕府の老中・土井利勝が側室を勧めたとあります。
そして、1625年に嫡男・徳川光友を産んだのは側室である吉田甚兵衛の姉・歓喜院(お尉の方)でした。

1650年、徳川義直は江戸藩邸にて死去。享年51。
菩提寺は建中寺。

なお、徳川義直は今上天皇まで血筋が繋がっている直系祖先です。

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