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源頼朝の生涯【鎌倉幕府・征夷大将軍】旧相模川橋脚も
源頼朝とは 源頼朝(みなもと-よりとも)は、源氏の頭領である、源義朝の3男として、1147年4月8日に尾張の熱田神宮西側にあった神宮大宮司の藤原季範別邸(現在のの誓願寺)にて生まれた。 母は正室の由良御前(藤原季… -
大久保忠世の解説 無骨一辺倒である蟹江七本槍の徳川重臣
大久保忠世(おおくぼ-ただよ)は、松平清康の家臣・大久保忠員の嫡男として、1532年に生まれた。七郎右衛門と称している。 母は三条西公条の娘。 三河国額田郡上和田(愛知県岡崎市)を知行した大久保家は本来、父・大久… -
石橋山古戦場(石橋山の戦い)【源頼朝挙兵】参加武将など合戦経緯と訪問方法(駐車場)
石橋山の戦い 鎌倉幕府を開いた事で知られる源頼朝の父である源義朝は、源氏の頭領として平家に挑みますが、1159年平治の乱で敗れて殺害され、勝利した平清盛は、三男であった源頼朝を伊豆に流罪とします。 そして、流刑の… -
神奈川県の城跡一覧 武将関連お城・城郭・寺院・古戦場など一覧リスト
神奈川県にある城郭・館跡などの一覧のリストです。 下記に明記している城跡はすべて訪問することを只今目指しております。 一種のライフワークでございます。 順次、訪問先の紹介記事をリンクさせて参る所存で、2018年の完… -
間宮善十郎 間宮康俊 北条家臣と間宮林蔵・杉田玄白の意外な関係
戦国時代の1569年、三増峠の戦いにて討死したとされる、北条家の家臣・間宮善十郎の墓と伝えられる塚が、合戦跡にあり、その場所からは1998年に渡来銭や大腿部に傷がある壮年男性の遺骨も発掘されています。 かなりマイナーな… -
源義経とは 腰越状と腰越の満福寺や首塚・白旗神社や平泉義経堂も
源義経(みなもと-の-よしつね)は、兄・源頼朝とは約12歳年下となります。 兄・源頼朝の母は、熱田神宮の大宮司である藤原季範の娘・由良御前で「正室」です。 それに対して源義経(牛若)は、父・源義朝の妾(愛人)とも言え… -
松平信康と徳姫~小田原・万松院にある松平信康の供養塔
松平信康(まつだいら-のぶやす)は徳川家康の長男として1559年3月6日に駿府にて生まれました。正確には徳川信康と言うのが正しいです。 母は正室・築山殿(瀬名、築山御前、関口親永の娘)です。 幼名は竹千代で、… -
源実朝公御首塚と波多野城~本当の波多野城跡は?
秦野は古来に朝鮮から渡って来た秦氏らが、大磯から相模に上陸して、ここ秦野まで進出した場所と考えられている。 その秦野を流れる金目川沿いにあるのが波多野城跡と言う事になり、歴史小説家・永井路子さんも、その地勢を大絶賛… -
小幡昌盛と真田丸に果敢にも突撃した小幡景憲とは?【甲州流軍学者】小幡虎盛も
小幡昌盛(おばた-まさもり)は、小畠虎盛(小幡虎盛)(おばた-とらもり)の次男として1534年に生まれた。 まずはこの小幡氏について触れたい。 小畠氏(小幡氏)は遠江・勝間田(牧之原付近)の出身で勝間田城主・勝間田修… -
堀秀政 かなり有能な武将なれど注目されていない?
堀秀政(ほり-ひでまさ)は、斎藤道三のあと織田信長に仕えた堀秀重の長男として1553年に生まれた。 若くして順調な出世 若くして木下藤吉郎(のちに豊臣秀吉)、織田信長にその才気を見出され、奉行職だけでなく数多…