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タグ:上杉景勝
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樋口与七・大国実頼~直江兼続の弟
樋口与七(ひぐち-よしち)は上杉謙信の家臣・樋口兼豊の次男として、戦国時代の1562年に誕生。 兄・樋口与六(のちの直江兼続)とは約2歳の年の差である。 樋口与七は与六(のちの直江兼続)の事を「兄じゃ、兄じゃ」と呼び… -
前田利家【詳細版】槍の又左と武勇を称された戦国大名
前田利家(前田犬千代)は、1538年に尾張国海東郡の荒子村(現・名古屋市中川区荒子4丁目)にて誕生した。生年に関しては1537年、1539年説もある。 父は土豪・荒子前田家の当主である前田利春(前田利昌)で、その四男と… -
佐々成政の解説 織田家のエリート武将も 最後は悲劇な人生を送る
佐々成政(さっさなりまさ)は、戦国時代の武将で1536年1月15日に誕生か? 父は、尾張国春日井郡比良(現在の名古屋市西区)の比良城主・佐々成宗(佐々盛政)。 母は堀場宗氏の娘か? 佐々家は、元々は織田信安の家臣だ… -
本庄繁長 越後に鬼神ありと恐れられた勇将
本庄繁長(ほんじょう-しげなが)は、本庄房長(本庄大和守房長)の子として、1539年12月4日(旧暦)に生まれました。 母の名は不明ですが、下記のような伝承があります。 下渡島城の支配を巡って対立した、父・本庄房… -
安田能元 和歌も嗜む文武両道の上杉家奉行
安田能元(やすだ-よしもと)に関しては、江戸時代まで生きた武将のため、少しはよくわかっています。 1557年に、越後・安田城にて生まれて、幼少の頃より上杉謙信の小姓となりました。 兄が死去したあと、1580年9月… -
上条政繁 出自に関して謎が多い上杉家の重臣
上条政繁(じょうじょう-まさしげ)は、上杉定実の子として1553年?(1545年?)に生まれました。 この上杉定実は、越後国守護で越後上杉家8代当主の上杉定実ではなく、琵琶島城・八条上杉家の琵琶島氏である上杉定実のよう… -
上杉景勝~偉大な先代の影~ 【戦国人物伝11】
上杉謙信という戦国ら時代を代表する偉大な人物が先代だったら、2代目は相当辛い立場に立たされるでしょう。ただでさえ2代目という立ち位置は、先代から仕える家臣に先代と比べられがちです。 先代の功績が偉大であればあるほど… -
長尾政景の溺死事件と仙桃院の数奇なる運命の果て
長尾政景(ながお-まさかげ)は、1526年に上田長尾家となる長尾房長の次男として生まれた。 仙桃院(せんとういん)は、仙洞院とも書くが、長尾為景の娘で、1524年ないし1528年生まれとされる。 父・長尾為景は越後長… -
関東管領の上杉憲政とは 平井城と平井金山城
上杉憲政(うえすぎ-のりまさ)は、1523年に関東管領の山内上杉家・上杉憲房の子として生まれた。母は不明。 1525年に父・上杉憲房が死去(享年59)した時、まだ3歳であったことから、父の養子・上杉憲寛(古河公方・足利… -
服部一忠(服部小平太)~桶狭間にて今川義元に一番槍をつけるも豊臣秀次事件に連座した運命
服部一忠(はっとり-かずただ)の名が最初に出てくるのは、1560年の桶狭間の戦いである。服部小平太、服部采女正、服部春安、服部忠次とも呼ばれる。 尾張津島の出身とも、丹羽郡大赤見村の住人ともある。 服部一忠(…