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仙石秀久の解説 武勇にも優れた情に篤い武将
仙石秀久(せんごく-ひでひさ)は、斎藤道三に仕えている美濃の土豪・仙石久盛(仙石治兵衛久盛)の4男として、1552年1月26日に加茂郡黒岩(加茂郡坂祝町)にて生まれた。 母は不詳。 仙石秀久は4男であったため、他… -
松平忠直の解説 真田幸村を討ち取るも大分に謹慎となったその理由は?
松平忠直(まつだいら-ただなお)は結城秀康(徳川家康の次男)の長男として、1595年6月10日、摂津・東成郡の生魂にて生まれた。 母は側室の中川一元の娘(清涼院、岡山)。 1600年、石田三成が挙兵した関ヶ原… -
本多正純 吏僚としての才能を発揮し徳川幕府の為に尽くすも
本多正純(ほんだ-まさずみ)は、本多正信の嫡男として1565年に生まれた。初名は弥八郎。 母は正室の毒林尼。 本多正純が生まれたころは、三河一向一揆で松平家の家臣も一揆に加担するものがいたが、父・本多正信も当時は一揆… -
シャムの英雄・山田長政の雄姿を見よ!
島国と揶揄されがちな日本だが、実は歴史的に見て立派な海洋国家である。古代遺跡を見ても、縄文時代にマグロを採って食べていた跡が見られるし、中世においては平清盛の日宋貿易に代表されるように、海外との交流は活発であった。しかし… -
商業と文化と水の都・大阪の礎を築いた松平忠明と安井道頓
大阪の町は夏の陣で灰儘と化したものの、為政者と庶民の力によって活気ある商業の街として再生を果たす。その中心的な役割を担ったのが、大阪城主に就任した松平忠明と、縦横に流れる堀川の掘削事業に生涯をかけた安井道頓である。 … -
後水尾天皇~徳川幕府との熾烈な闘争に勝ち抜く~
戦国時代は、大阪の陣によって終わりを遂げ、念願だった泰平の時代を迎えた。 思えば、徳川家康はあらゆる手段を総動員して秀頼や淀君、豊臣恩顧たちに圧迫を加え続け、ついには豊臣宗家を滅ぼすに至った。 しかし、執拗なまでの強… -
葛西晴信と木村吉清・木村清久とは?~奥州仕置後の葛西大崎一揆をわかりやすく
葛西晴信(かさい-はるのぶ)は、第15代当主・葛西晴胤の子として1534年頃に生まれた。初名は葛西信清。 母は、継室である鶴楯城主・黒川景氏の娘。 この葛西氏は、鎌倉時代の豊島氏の一族で、葛西城(東京都葛飾区)が本拠… -
蜂須賀家政と蜂須賀至鎮とは~徳島にて阿波踊りを始めさせた戦国武将
蜂須賀家政(はちすか-いえまさ)は、蜂須賀正勝の子として1558年に尾張・宮後城にて生まれた。 母は松(大匠院、まつ)。 1565年頃、蜂須賀家成が8歳の頃、父・蜂須賀正勝(蜂須賀小六)が木下藤吉郎(豊臣秀吉)の… -
柳生石舟斎 柳生宗矩 柳生新陰流「天下統御の剣」~治国平天下
【治国平天下 ~柳生新陰流 天下統御の剣・柳生石舟斎と柳生宗矩】 柳生石舟斎・柳生宗矩と柳生一族、ややもするとその負った役割ゆえに、諜報活動に暗躍した「陰の一族」として受け止める方も多いだろう。 米国アップル社の… -
遠藤慶隆 没収された郡上八幡城主に見事復帰した戦国大名
遠藤慶隆(えんどう-よしたか)は1550年に、遠藤盛数の子として生まれました。 母は東常慶の娘で、木越城にて産んだとされています。 父・遠藤盛数は斎藤義龍に従っていましたが、井ノ口(岐阜市)にて1562年10月14日…