大蔵局とは~大蔵卿局と大野治房・大野治胤・大野治純


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大蔵卿局大蔵局(おおくらのつぼね)は浅井長政の家臣だっとされる大野定長の妻で、茶々の乳母であったとされる。
しかし、大野家の出自は丹後・尾張・近江など諸説あり、不明瞭な点が多い。
また、豊臣秀頼の乳母を務めたともされる。

1582年、明智光秀による本能寺の変のあと、清洲会議にてお市の方柴田勝家と再婚する事になり、浅井三姉妹らと大蔵局も北ノ庄城へ入った。

淀殿からの信頼も厚く、豊臣秀吉が死去したあと、北政所(高台院)と古くから仕えてきた奥女中兼祐筆・孝蔵主らと京都新城に移ると、以後、大阪城にて、子の大野治長大野治房大野治胤大野治純らと権勢を振るった。

1589年に鶴松が生れると、豊臣政権の奥向きを支配していた大蔵卿局(大蔵局)であるが、夫・大野道犬も1万石の加増を受けている。

1614年の方広寺鐘銘事件では、釈明の為使者として、正栄尼、二位局ら3人にて駿府城の大御所・徳川家康のもとを訪問した。
この時、大蔵局は、徳川家康に謝罪するための言葉を、一言一句間違えないように、暗誦していたと言う。

以前から徳川家と交渉していた片桐且元は無視されていたが、阿茶局を通して徳川家康に面会し、なんら敵意が無い事を表明した。
徳川家康は片桐且元とは一切会わず、逆に大蔵局らは歓待すると言う使い分けを行い、豊臣家は片桐且元への不信感を募らる。
その為、片桐且元は一部の家臣らと共に大坂城から退去し、豊臣家は忠臣を失った。

1614年、大阪冬の陣の際には、大蔵局が常高院(お初)と共に大阪城から出て、京極忠高の陣にて和平のため水面下で交渉もした。
この時、徳川勢の交渉役は阿茶局で、大蔵卿局は豊臣秀頼の命を助ける代わりに、人質として自らの孫を差し出したとも言われている。

大阪城炎上

1615年、大坂夏の陣では真田幸村後藤又兵衛らの奮戦空しく、豊臣秀頼や淀殿の自害に殉じて、子の大野治長と共に自決した。
戒名は智勝院桂宗春大禅定尼。

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大野治房

大野治房(おおの-はるふさ)は豊臣家における主戦派の中心人物の1人。
大阪の陣では紀伊・大和など大軍を率いて出陣したが、いずれも敗走している。
大阪城落城の際には、豊臣秀頼の遺児・豊臣国松と脱出しようとしたが、徳川勢に捕えられた。
その後、斬首されたとも、なおも逃れて落ち延びたとも、板倉勝重から切腹を申し付けられたが逃げたなど諸説ある。
1649年には、生存説が流れたため江戸幕府は大規模な捜索を行っている。

大野治胤

大野治胤(おおの-はるたね)は、1614年、大坂冬の陣では豊臣家の水軍5000を率いて、船倉を守備したが、野田・福島の戦いで徳川水軍に大敗した。
そのため、薄田兼相と共に見かけだおしで役立だずと失笑されている。
1615年、大坂夏の陣では、堺の焼き討ちを担当し、大坂城落城の際には脱出を図ったが、徳川勢に捕らえられた。
そして、焼き討ちされた堺衆らの要求で引き渡され、堺にて磔にかけ火あぶりの処刑になる。

大野治純

大野治純(おおの-はるずみ)は、幼い頃から徳川家康の人質になっていたようで、1614年、大阪夏の陣が始まる前に、闇討ちを受けて足を負傷していた兄・大野治長を徳川家康の命にて大阪城に赴き見舞っている。
実はこの時、徳川家康より「真田幸村長宗我部盛親らが内通している」という偽書を見せられていたため、そのまま信じ込んだ内容を兄・大野治長に伝えたとされ。
そのため、豊臣勢は士気を高めるために予定していた、豊臣秀頼の出馬を淀殿らの意向を受けて急遽中止し、大坂城に籠城し続ける事になったとされている。

大蔵卿局の長男・大野治長の生涯はこちら
淀殿(淀の方、茶々)~豊臣家・我が子の為に生涯を全うした強き女性
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