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カテゴリー:麒麟がくる
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水野信元 24万石を有した三河の戦国大名
水野信元(みずの-のぶもと)は、三河・緒川城主である水野忠政の次男として戦国時代に生まれました。 母は松平信貞の娘(松平昌安の娘)で、兄に水野近守がいます。 また、1528年に生まれている異母妹・於大の方がおり、15… -
三淵藤英とは 足利義昭の擁立に尽力し最後まで再興を試みた幕臣
三淵藤英(みつぶち-ふじひで)は、室町幕府の申次衆で、山城・大法寺城主である三淵晴員の子として戦国時代に生まれました。 そもそも和泉・細川家の一族であり、弟は養子に出されて細川藤孝(細川幽斎)となっています。 2… -
蜂須賀小六(蜂須賀正勝)の解説 豊臣秀吉の腹心
蜂須賀小六(蜂須賀正勝)は、1526年、蜂須賀城主・蜂須賀正利(200貫)の長男として誕生した。続柄は不明とする説もある。 母は宮後城主・安井重幸(安井弥兵衛、安井弥兵衛尉重幸)の娘・安井御前。 この蜂須賀氏は、尾張… -
豊臣秀吉の詳細解説 農民の木下藤吉郎が天下を取れた理由
実際の豊臣秀吉とは、どのような人物だったのか? 知られざる豊臣秀吉の「実像」をとことん追求 -
朝倉義景の解説 一乗谷朝倉家百年の栄華最後の当主
朝倉義景(あさくらよしかげ)は越前国の戦国大名で朝倉氏の第10代当主である朝倉孝景の長男として、1533年9月24日に生まれた。幼名は長夜叉。 母は広徳院(光徳院)と伝わり、若狭武田氏の一族の娘で武田元信か武田元光の娘… -
織田信秀 名将が乗り越えられなかったもの
織田信秀(おだ-のぶひで)といえば、天下人に近づいた武将織田信長の父として有名です。 ただ、織田信秀の政策と織田信長の政策には類似点もあり、織田信長に大きな影響を与えた人物の一人とも言えます。 今回は、織田信秀が信長… -
織田信忠とは 本能寺の変のもう一つの謎
権力者たちが一堂に会することは、大変なリスクがあります。 その場を襲撃された場合、各機関のリーダーを一度に失うわけですから。 どうしても一所に権力者が集まる場合は、強固な護衛が必要になります。 なのに、日本史上には… -
今川義元は領国経営に優れた優秀な戦国大名だった
今川義元(いまがわ-よしもと)は、戦国時代の1519年、駿河・遠江守護の今川氏親の5男として生まれた。幼名は芳菊丸/龍王丸。 母は、父の正室である寿桂尼(権大納言・中御門宣胤の娘)。 1523年に京都の建仁寺から太原… -
斎藤道三(斎藤利政) 権謀術数を駆使し大名になった美濃の蝮
斎藤道三(さいとう-どうさん)は1494年?(又は1504年?)に誕生したと推定されている。生誕地については山城国など諸説ある。 生い立ちについては不明な点が多いが、最新の研究による解釈にてご紹介したい。 斎藤道三(… -
細川忠興 文武両道の名将として戦国の世を・・
細川忠興(ほそかわ-ただおき)は、戦国時代の1563年11月13日に京都で誕生。 父は、室町幕府13代将軍・足利義輝に仕える細川藤孝(細川幽斎)で、長男として生まれた。 母は、正室・沼田麝香(ぬまたじゃこう、若狭熊川…