梁田正綱 簗田広正 織田信長のもとで活躍した織田家の武将

梁田正綱




梁田正綱(やなだ-まさつな)は、戦国時代の武将で、梁田広正と書く場合もありますが、梁田広正は子供の名前ともされます。
生没年とも不詳です。
初めは尾張守護・斯波義統の家臣でしたが、のち織田信秀に仕えると九之坪城(愛知県北名古屋市)を与えられました。
1559年、領内に十所神社を建立しています。
その後、織田信長に引き続き仕え、1560年、桶狭間の戦いでは、今川義元の本陣位置を偵察し、織田信長に報告した武将とされています。


その後、織田勢が奇襲すると、毛利新介が今川義元の首を取ったとされています。
しかし、織田信長は論功行賞にて、今川義元の居場所を突き止めた梁田正綱をもっとも高く評価したと言われています。

そのため、梁田正綱は、新たに沓掛城、3000貫を与えられたともされ、梁田出羽守とも、称したようです。

子としては、簗田広正(やなだ-ひろまさ)が知られ、1570年年の浅井長政攻めでは、近江・小谷城からの撤退時に殿軍(しんがり)を務めています。
そのため、この頃までに梁田正綱は死去したか、隠居したものと推定されます。


簗田広正は、1575年、羽柴秀吉・明智光秀塙直政らと、朝廷から叙位任官を授かり、右近大夫となって、九州の名族である別喜(戸次)氏を名乗ることを許されました。
かなり評価されている武将と言う事が伺えますが、別喜右近(戸次右近)と称しています。

1576年、加賀・大聖寺城の城主となって、加賀一向一揆に対応しました。
しかし、兵力不足にて討伐が失敗したため、尾張に戻され、1578年からは、織田信忠を補佐して、別所長治の反乱などに当たりました。

なお、1582年、子の戸次長教が、武田勝頼の甲斐攻めの際に、信濃・鳥居峠の戦いにて討死しています。
孫の簗田教貞は織田信雄に仕えたともありますが、不明な点が多いです。


通常、簗田氏(やなだし)と言うと、関東の関宿城や、水海城の簗田持助などが有名ですが、尾張・簗田氏との関連性は不明です。

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