佐久間盛重(佐久間大学)とは 織田信勝の家老

佐久間盛重(佐久間大学)




佐久間盛重(さくま-もりしげ)は、戦国時代の武将で、織田家の家臣で、通称は佐久間大学と言います。
父は佐久間盛経です。
もともと、佐久間氏は、鎌倉初期の有力御家人・三浦義明の3男である三浦義春(みうら-よしはる)の4男・三浦家村が、安房の鋸南町にある下佐久間・上佐久間を領したことから始まる三浦氏の一族です。
1213年、三浦一族は、和田義盛の反乱(和田合戦)に味方しますが敗れたため、越後国奥山荘(新潟県胎内市)に逃れました。
その後、佐久間家盛が、1221年、承久の乱で戦功を挙げ、恩賞として上総国夷隅郡と尾張国御器所の領地を賜りました。
戦国時代において、この尾張・御器所城(五器所城)の城主が、佐久間盛重(佐久間大学)と言う事になり、末森城の織田信秀に従っていました。


織田信長の弟・織田信行(織田信勝)が生まれると、佐久間盛重が付け家老となっています。
1551年、織田信秀が死去した際の葬儀では、織田信行(織田信勝)と共に参列しました。

その後、織田信長と織田信行の兄弟は対立し、1556年、稲生の戦いになると、佐久間盛重は同族の佐久間信盛らと織田信長に味方しています。
当時、柴田勝家や林秀貞らは、織田信行を織田家の当主にと動いていますので、意外な選択ですが、合戦でも名塚砦を守り通しました。
そして、織田信行の軍勢の橋本十蔵を討ち取っています。

永禄3年(1560年)、今川義元が大軍で攻めて来た桶狭間の戦いでは、その前哨戦にて丸根砦の守備を任されました。
近くの鷲津砦と連携して、今川勢の大高城に、睨みを効かせましたが、松平元康(徳川家康)勢の猛攻を受けて、丸根砦は陥落し、佐久間盛重は討死しています。

跡取りがいましたが、先祖所縁の越後国奥山荘の名を取って、奥山盛昭(おくやま-もりあき)と称しています。
そして、丹羽長秀に仕えて、のち豊臣秀吉の直臣になると、越後にて1万1000石となっています。


なお、織田信長に仕えた佐久間氏としては、佐久間盛政(さくま-もりまさ)がいます。
この佐久間盛政は、最初、御器所西城の主ですが、父・佐久間盛次のほうが、正統な佐久間家の当主だったとも推測できます。

織田信行(織田信勝) 信長の弟の数奇な運命
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