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石船神社に祀られている護良親王の頭蓋骨【山梨県都留市】
山梨県都留市朝日馬場の石船神社(いしふねじんじゃ)には、大塔宮・護良親王とされる首級が祀られています。 護良親王(もりよししんのう/もりながしんのう)と言う御仁は、建武の新政を行い吉野に南朝を開いた事で知られる後醍… -
天目山栖雲寺と日本最古の「日の丸御旗」がある武田家ゆかりの雲峰寺
山梨県にある栖雲寺と雲峰寺の2本立てです。 まずは武田勝頼らが目指した天目山栖雲寺です。標高1050mと、かなり山深いところで、田野からかなり入ります。。 臨済宗建長寺派の寺院で、国指定の重要文化財・木造普応国師坐像… -
板額御前とは~鎌倉武士として戦った越後の女性武将で弓の名手
板額御前(はんがく-ごぜん)は城資国(城助国)の娘ですが、生没年などは不詳です。 平安時代の末期から鎌倉時代の初めの頃の女性で、日本における数少ない「女武将」として知られます。 巴御前に並ぶ女傑として「巴板額」(とも… -
飯富虎昌とは~戦国時代の武田家2代ら使えるも義信事件で切腹した宿老
飯富虎昌(おぶ-とらまさ)は、甲斐・武田家の家臣である飯富道悦(または飯富源四郎)の嫡男として1504年に生まれたとされるが諸説ある。 初名は飯富信昌。 父と考えられる飯富源四郎は、武田信虎の時代となる151… -
八田家重と八田御朱印屋敷~石和の八田家書院
武田信玄の家臣に末木正重の子である蔵前衆・八田家重(八田淡路守家重)なる武将がいます。 八田氏と言うと常陸の豪族(宇都宮家の支流)八田宗綱が良く知られますが、この八田家重もその末裔と称しています。 蔵前衆(蔵… -
志賀城主・笠原清繁夫人の墓【大月市・宝林寺】悲劇の女性と小山田出羽守信有
山梨県大月市の岩殿城山から東を流れる葛野川に沿う山の麓に、静かにたたずむ曹洞宗の宝林寺があります。 宝林寺は、難攻不落で知られる岩殿城の鬼門を守っているとされ、この地には戦国時代の武田信玄の元で活躍した、谷村城… -
小山田信茂の首塚と小山田左兵衛尉信茂顕彰の碑【初狩・瑞龍庵跡】
1582年3月、武田勝頼が自刃し武田家が滅亡した際に、小山田信茂は葛山信貞、ほかに武田信堯、小菅五郎兵衛などと共に、甲斐善光寺で切腹となります。 そして、小山田信茂の遺体は、甲斐善光寺の北に葬られました。 現… -
浅利信種墓所と与一地蔵【山梨県大月市】
山梨県大月市に浅利信種墓所と与一地蔵があります。 「与一」と言うと、弓の名手で知られる那須与一と言う武将が有名ですが、実は、那須与一は軍記物に登場する架空の人物と考えられ、鎌倉武士に那須を称する与一と言う御家人… -
富春寺~小山田出羽守富春開祖の小山田氏菩提寺
山梨県都留市小形山にある桂林山富春寺は、郡内領主・小山田出羽守富春の開祖の寺です。 ちなみに、小山田出羽守信有の開基ではないみたいですと言うか、小山田氏は世代に渡って同じ名前を称したり、官位も同じだったりするの… -
甲斐・善光寺【武田信玄と信濃・善光寺との関係は?】
甲斐の善光寺(ぜんこうじ)は、戦国時代の1558年に武田信玄が創建した寺です。 開山は信濃善光寺大本願三十七世の鏡空。 武田信玄と上杉謙信が「川中島の戦い」で雌雄を争ったことは有名ですが、元々「善光寺」と言うのは信濃…