過去の記事一覧
-
少斎の異名で名高い小笠原秀清(おがさわら‐ひできよ)は、足利将軍家に仕える奉公衆だった小笠原稙盛の息子として生まれました。
稙盛の拝命していた奉公衆は将軍家直属の軍人と言うべき存在であり、つまり決して低い身分ではなかっ…
-
源頼光(みなもと-らいこう)は、948年の平安時代中期に生まれた武将で、正式な読み方は「みなもと-の-よりみつ」となります。
父は、摂津国多田荘を相続した多田源氏の祖・源満仲/多田満仲(ただ-の-みつなか)で、母は、嵯…
-
継体天皇の在位は古墳時代の507年3月~531年3月。
ヤマト政権がまだ国家を完全に掌握しきれていなかった、混迷期の倭国において、第二十六代の天皇として即位している。
後に国家の政治基盤を築きあげた、推古天皇の摂政、…
-
『太平記』(たいへいき)は、南北朝時代の動乱を描く軍記物語です。
足利尊氏をはじめ、楠木正成、新田義貞、後醍醐天皇、佐々木道誉、高師直、足利直義、護良親王、赤松則村、北畠顕家など魅力的な人物が登場し、敵味方が激しく入れ…
-
越後国(新潟県)を本拠地とする上杉謙信(旧名:長尾景虎 1530~1578)は誰もが知る戦国期を代表する群雄の1人でありますが、戦国期~現代という永い時を経ても謙信が名将として誉れ高い所以は、やはり合戦面で殆ど負けを知…
-
脇屋義助(わきや よしすけ)は、鎌倉を攻め落とした新田義貞の実弟で鎌倉時代末期から南北朝時代初期の武将です。
通称は、脇屋次郎。父は新田朝氏で上野国新田郡に生まれます。
生年は、正安3年(1301年)説、嘉元元年(1…
-
中原親能とは
中原親能 (なかはら の ちかよし)は、鎌倉時代初期の貴族で、1143年に中原広季(藤原光能?)の子として産まれました。
この中原氏は、儒学者を輩出する家柄で、儒学の研究を行っていましたが、法律の専…
-
伊東祐親とは
伊東祐親 (いとう すけちか)は、平安時代末期の武将で、伊豆の豪族・伊東祐家の子として産まれましたが、生年は不詳です。
伊東氏は、藤原鎌足から続く藤原南家(藤原不比等の長男・藤原武智麻呂)の流れをく…
-
源行家とは
源行家 (みなもと の ゆきいえ)は、平安時代末期の武将で、河内源氏の棟梁・源為義の10男として1141年に生まれました。
母は鈴木重忠の娘?(第15代熊野別当・長快の娘?)ともされ、同じ母が産んだと…
-
大姫とは
大姫 (おおひめ) は、源頼朝の長女として、平安時代末期の1178年に、伊豆にて生まれました。
母は、北条時政の娘・北条政子です。
父・源頼朝は、北条時政に預けられ、伊豆の蛭ケ小島にて謹慎していました…
寄稿秀作
-
「大鏡」というタイトルは、「歴史を明らかに映し出す優れた鏡」という意味を持つ。
その名の通り、天皇…
-
明正天皇(めいしょうてんのう)(幼名は女一宮)は、江戸時代前期の元和9年(1624年)11月19日に…
-
一ノ谷の戦い(いちのたにのたたかい)は、平安時代末期である1184年に、摂津国福原と須磨(兵庫県神戸…
ページ上部へ戻る
Copyright © 株式会社TOLEDO All rights reserved.