源明子をわかりやすく1分で解説【光る君へ】藤原道長のもうひとりの妻

源明子(イメージAI)

源明子とは

源明子 (みなもと の めいし) は平安時代中期の女性で975年頃に左大臣・源高明の娘として誕生。
母は継室で藤原師輔の娘・愛宮(あいみや)。(実名は不明)

2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」では、俳優(女優)の瀧内公美さんが源倫子の役を演じられる。


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父・源高明(みなもと の たかあきら)は醍醐天皇の第10皇子であり、妻・藤原実頼の次女が死去すると、実力者である藤原師輔の娘を継室にしていた。
しかし、その藤原師輔の娘も亡くなると、さらに藤原師輔の五女である愛宮を娶り、愛宮は源明子や源経房を産んだ。
藤原師輔や、村上天皇の中宮になっていた藤原安子(愛宮の姉)が相次いで死去。
父・源高明の娘が為平親王(ためひらしんのう)の妃となっていたを藤原氏に警戒され、源満仲らが謀反を密告。
源高明がどう関わっていたのかは不明だが、969年「安和の変」によって源高明は大宰権帥に流され失脚した。
妻の愛宮も出家して離別したとされるが、それから約6年後に、源明子が誕生したと言う事になる。
そのため、源明子の誕生年(975年?)と言うのは、今後の研究も待たれると感じる。
ただし、971年(天禄2年)源高明は罪を許されて帰京し葛野に隠遁していることも加筆しておく。

いずれにせよ、源明子は叔父・盛明親王の養女となっていた。
986年、盛明親王が没すると藤原兼家の娘で一条天皇の母である藤原詮子(東三条院)の後見を受けた。
この頃なのか、東三条邸(東三条殿)に住んでいた源明子のもとに、藤原詮子の弟・藤原道長が通うようになった。
そして、源明子は藤原道長と結婚すると、高松に住んだため高松殿と呼ばれている。
結婚年は諸説あるが988年頃ともされる。
なお、婚儀は行わなかったとされ、藤原道長の妻として公式行事にも出席しなかったようだ。
ただし、源明子が産んだ子は多く、藤原頼宗、藤原顕信、冨士和に能信、藤原寛子(小一条院の女御)、藤原尊子(源師房の妻)、藤原長家と見られる。
藤原道長の正室・源倫子が産んだ子のほうが出世しているのは言うまでもない。

1017年、源明子の娘・藤原寛子が、皇太子を辞退した東宮・敦明親王(小一条院)と結婚。
しかし、2人は高松殿に住んだと言うので、失脚した敦明親王(あつあきらしんのう) を破格の待遇で婿にしたと考えられる。


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源明子の晩年の動向は不詳。
1049年に死去した。

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