岩成友通の解説 三好三人衆の一人で謎多き武将の生涯とは?

岩成友通

岩成友通(いわなり-ともみち)という戦国武将をご存じでしょうか?
一時期、畿内を制していた三好長慶の家臣で、三好長逸三好宗渭と並び「三好三人衆」の一人に数えられる武将です。
また、松永久秀織田信長、室町幕府13代将軍 足利義輝などとも深い関わりを持つ武将でもあります。
このように、周辺人物には有名な武将が多いのですが、岩成友通自身はかなりのマイナー武将で、三好三人衆の中でも最も謎に包まれた人物でもあります。
そんな岩成友通とは、一体どのような武将だったのでしょうか?

岩成友通の出生

岩成友通がいつ生まれたのかは明らかになっていませんが、大和国(やまと、現在の奈良県)の出身ではないかと言われています。
また、三好氏の出自は阿波国(あわ、現在の徳島県)であり、また三好三人衆の中でも唯一三好姓ではないことからも、三好家の譜代家臣だったわけではないという説もあります。(諸説あり)

そんな岩成友通が歴史に登場してくるのが天文19年(1550年)。
そして、永禄元年(1558年)の北白川の戦いに三好方として参戦していることから、おおよそこの辺りで三好長慶に仕えたものと思われます。
三好一族ではないにも関わらず三好長慶に重用され、一門に交じって三好三人衆の一人に名を連ねていることからも、三好家内における出世頭であったと言えるでしょう。

しかし、永禄7年(1564年)、主君の三好長慶がこの世を去りました。
岩成友通は他の三人衆とともに、三好家の後継者 三好義継の後見人となります。
この出来事を境に、家中での三好三人衆の存在感が増していくことになります。

永禄の変

永禄8年(1565年)、京都を揺るがす大事件が起きました。
室町幕府13代将軍 足利義輝暗殺。
この事件を「永禄の変」といい、岩成友通を始め三好三人衆が大きく関わっていました。

将軍の権威を復活させたかった足利義輝は、京都で力を持っていた三好家を快く思っていませんでした。
そんな中、三好長慶亡き後に実権を握っていた三好三人衆(と松永久秀、久通父子)を排除しようと画策し、両者の間には軋轢が生じていました。
このような状況の中、三好三人衆は京都の二条御所に軍勢を差し向け、足利義輝を急襲し討ち取ったのでした。
足利義輝は剣豪将軍の異名を持つ猛者で、迫りくる刺客に対し見事な刀さばきで応戦し、壮絶な最期を遂げたと伝わっています。
なおこの事件には、三好三人衆と同様に三好家で力を持ち始めていた松永久秀、久通父子も関与していました。(松永久秀は直接関わっていないという説もあります)。

ともかくも、将軍を討ち取り京都での実権を確かなものにした三好三人衆。
しかしこの後に、三好家の主導権を巡って、松永久秀との対立を深めていきました。
なおこの争いの最中に、東大寺大仏殿(いわゆる奈良の大仏)が火事になって焼亡するという悲劇が起こっています(東大寺大仏殿の戦い)。

織田信長登場

三好三人衆と松永久秀による三好家の内輪揉めを展開している最中、戦国時代の超有名人が後の将軍 足利義昭を伴って上洛してきます。
織田信長です。

岩成友通は他の三好三人衆や南近江の六角義賢らと連携し抵抗をみせたものの、あえなく連敗を喫し、徐々に追い詰められていきました。
そのような中でも、岩成友通の居城である勝竜寺城は特に激しい抵抗を見せ善戦したとされています。
これは岩成友通の統治が確かなものであり、配下の者が結束していたからだとも言われています。

しかしながら、最後は抗し切れず織田家の軍門に降りました。

岩成友通の最期

京都を牛耳っていた三好三人衆は織田信長に蹴散らされ、足利義昭が15代将軍となりました。
しかし、今度は織田信長と足利義昭の間が不仲になっていきます。
足利義昭は全国の大名に呼びかけ信長包囲網を実施。
織田家の配下になった岩成友通はこれに呼応し、織田信長に反旗を翻しました。

ところが天正元年(1573年)、籠っていた山城・淀城三淵藤英細川藤孝(後の細川幽斎)兄弟に攻められ敗北。
細川藤孝の家臣と取っ組み合いのケンカになり、そのままの勢いで水堀に落下、そのまま水中で討ち取られたと言われています。

同じ三好三人衆であった三好宗渭と三好長逸も、織田家との戦いで亡くなったとも、行方不明になったとも言われ、三好家は没落しました。
岩成友通ら三好三人衆は、三好政権を築きあげた功労者であることは間違いありません。
しかし、三好長慶亡きあとの混乱を招いたのもまた事実であり、三好家の栄光は三好三人衆の没落で幕を下ろすことになったのです。

(寄稿)拓麻呂

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