藤原彰子とは【光る君へ】わかりやすく中宮彰子を2分で解説~藤原氏全盛期に君臨

藤原彰子(イメージAI)

藤原彰子とは

藤原彰子(ふじわら の あきこ / しょうし) は平安時代の998年に生まれた才色兼備の誉れ高い女性で、第66代天皇・一条天皇の皇后(中宮)になった。
父は藤原道長、母は源倫子(左大臣・源雅信の娘)で、藤原氏の土御門邸(つちみかど-てい) にて誕生。

2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」では俳優(女優)の見上愛さんが藤原彰子の役を演じられる。

999年(長保1年)、成人した藤原彰子(12歳)は、一条天皇の女御(にょうご)となった。
この時、一条天皇にはすでに中宮・藤原定子(藤原道隆の長女)、女御・藤原義子/藤原元子/藤原尊子が入内していたので、藤原彰子は5人目の妻だったと言えよう。
しかし、翌年(1000年)には藤原彰子が新たに皇后(中宮)となり、先に中宮を号していた藤沢定子(藤原隆家の姉)は「皇后宮」を号し、朝廷史上はじめて「一帝二后」になっている。
ただし、藤原定子は第二皇女・媄子内親王の出産が難産となり崩御。


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999年に藤原定子が生んでいた一条天皇の第一皇子・敦康親王の養母を、必然的に藤原彰子(13歳)が担う事になった。
母の源倫子も育児に協力したとされる。
1006年頃からは、藤原彰子の女房 (家庭教師に近い役割) は紫式部でもあった。
他には和泉式部・伊勢大輔・赤染衛門(あかぞめえもん)らの才媛ある女房も見受けられ、女流文学全盛期の中心になった。

寛弘5年(1008年)、藤原彰子は30時間の難産となったが、土御門殿にて一条天皇の第二皇子・敦成親王(後一条天皇)を出産。
寛弘6年(1009年)、藤原彰子は安産で第三皇子・敦良親王(後朱雀天皇)を生んだ。
これにより、父・藤原道長の権力が強まった。


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1010年、妹・藤原妍子が冷泉天皇の第二皇子・居貞親王に入内。
1011年、病になった一条天皇は居貞親王(三条天皇)に譲位し崩御。
藤原彰子(24歳)は三条天皇の即位に反発したとされる。
ただし、三条天皇の皇太子には、中宮・藤原彰子が産んでいた敦成親王(後一条天皇)に決まっている。
1012年頃、紫式部が退任した模様だが、藤原彰子は皇太后となった。
1017年、三条天皇が崩御し、中宮彰子の子・敦成親王(8歳)が後一条天皇となり、幼帝のため父・藤原道長が摂政となり権勢を振るった。
寛仁2年(1018年)に、藤原彰子は太皇太后(たいこうたいごう)になっている。

1026年(万寿3年)、藤原彰子は出家し、院号の宣下があり上東門院となった。
1030年(長元3)法成寺(ほうじょうじ)・無量寿院の近くに東北院を建立し、晩年を過ごしている。
後一条天皇、後朱雀天皇と二代の国母になったものの先立たれ、父・藤原道長、妹・藤原妍子(けんし)、藤原威子(いし)、藤原嬉子(きし)らも長寿であった藤原彰子より早く亡くなっている。


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曾孫・白河天皇の代、1074年(承保元年)10月3日、藤原彰子は法成寺・阿弥陀院にて崩御。87歳。

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